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説教 「さらに愛し合う教会」

グラハム・スミスKGK主事/CMS宣教師                

2006.10.1. 


詩編133篇1

1:【都に上る歌。ダビデの詩。】見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。

  2:かぐわしい油が頭に注がれ、ひげに滴り/衣の襟に垂れるアロンのひげに滴り

  3:ヘルモンにおく露のように/シオンの山々に滴り落ちる。シオンで、主は布告された/祝福と、とこしえの命を。

 

テサロニケの信徒への手紙一4章910

 

【1.愛がないと。】

(スキット:持ち物をめぐる争い)

 

先のふたりの間の会話と行動を見てどう感じましたか。びっくりしたでしょう。恥ずかしかったでしょう。気持ちがわるかったでしょう。

 

これはスキットに過ぎませんでしたが、残念ながら、日常生活ではこのようなことが繰り返して起こっています。家庭とか会社とか学校の中で似ている問題が起こっています。我が家では下の二人の子供の間では、本当につまらないことで争いがしばしば起こっています。「兄弟喧嘩」と呼ばれていますね。大人は子供よりコントロールができますから目立つ程の喧嘩にならない場合が多いですが、心のレベルでの戦いは態度や言葉使いなどによって起こります。

先のスキットのように、心の感情が外に出ると大変な経験になります。喧嘩の姿がばれるといやな気持ちがしますね。

 

教会のなかでも愛がないと本当に辛いです。メンバーに傷つけられたり、外への証のつまずきになります。そうならないようにパウロの言葉に聞きましょう。パウロは兄弟愛について語っています。

 

1テサロニケ4章9109:兄弟愛については、あなたがたに書く必要はありません。あなたがた自身、互いに愛し合うように、神から教えられているからです。 10:現にあなたがたは、マケドニア州全土に住むすべての兄弟に、それを実行しています。しかし、兄弟たち、なおいっそう励むように勧めます。」

 

【2.テサロニケの教会について】

この言葉はパウロという宣教師が、ギリシャの町であるテサロニケの教会に送った手紙のことばです。その教会は割合新しい教会でした。パウロは3週間にわたって、聖書から、キリストについて、特に十字架と復活について、説明し、論証し、大胆に語りました。その結果、何人かが信じるようになって、教会が生まれました。手紙の1章ではテサロニケの教会の様子が書かれています。テサロニケの人々は偶像から立ち返って、生ける真の神に仕えるようになりました。その180°の転換は生活においても表されました。彼等の信仰の働き、愛の労苦、希望からくる忍耐と喜びは地域に響きわたりました。

 

3章ではパウロとテサロニケの教会の間の関係が書かれています。迫害のため、パウロはテサロニケから追い出されました。パウロはテサロニケのクリスチャンを励ますため戻りたかったのですが、結局行けなかったので、代わりに同労者のテモテを遣わしました。テモテはテサロニケからパウロの所に帰って来て、テサロニケの教会の「信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。」

 

その報告を受けて、パウロはさらにテサロニケのクリスチャンたちを励ますために、手紙を送りました。4章から、パウロは神を喜こばすべき生き方を勧めています。

8節では聖なる生き方の勧めです。

10節は兄弟愛の勧めです。

 

【3.兄弟愛について】

その勧めは新しい勧めではありません。「書く必要はありません。」と書いてあります。

なぜなら、彼等はもうすでに充分に教えられているからです。また、彼等の愛はすでに実行しているからです。

でも、パウロはこのすでに教えられた愛、また、すでに実行している愛がさらに、ますます、あるように願っています。

 

【ますます互いに愛し合うために】

私たちもますます互いに愛し合うことができるように、どうしたらいいのでしょうか。

 

二つのことについて話してみたいと思います。

 

【1.神から教えられたこと】

まず、愛し合うことについてテサロケのクリスチャンたちはどんなことを学んだでしょうか。

彼等はパウロを通して、神が教えましたが、その教えはキリストからもらったもので、キリストの教えに戻りましょう。トピックが大きすぎるので、重要な点だけ幾つかの聖書箇所を紹介しながら考えたいと思います。

 

1。律法のまとめ:マルコ12章28b31節(最も重要な掟)

 

 28:彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」

 29:イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。 30:心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』31:第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」

 

神を愛することと、人を愛すること、この二つより大事な命令は他にありません。

旧約聖書のすべてはこの一言でまとめられます。愛。ガラテヤ5章14でパウロはこう語っています。「律法全体は『隣人を自分のように愛しなさい』という一句によって全うされるからです。だが、互いにかみ合い、共食(ともぐ)いしているのなら、互いに滅ぼされないように注意しなさい。」

 

ローマ13章810節にもパウロは互いに愛し合うことを勧めています。

「互いに愛し合うことのほか、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は律法を全うしているのです。」

互いに愛し合うことはイエスが教えてくれた、愛の命令の適用です。

 

2.イエス様のように:ヨハネ13章3335節

33:子たちよ、いましばらく、わたしはあなたがたと共にいる。あなたがたはわたしを捜すだろう。『わたしが行く所にあなたたちは来ることができない』とユダヤ人たちに言ったように、今、あなたがたにも同じことを言っておく。34:あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。

 35:互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

 

イエス様が十字架にかけられる時が近付いていて、弟子達の足を洗った出来事の後でこの有名なことばが語られました。ヨハネの福音書とヨハネの手紙の特徴を表す箇所です。愛し合うことが主張されています。注目したいところは、「わたしがあなたがたを愛したように」と。

 

新約聖書には愛の定義はありません。愛が命じられています。愛の特徴が描かれています、例えば第一コリント13章。

1:たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。

愛が例えによって説明されています、例えば、よきサマリア人の話し(ルカ10:2537)。でも定義がありません。

 

しかし、本当の愛を理解するためには、イエス様を見なければなりません。イエス様が私たちを愛したように、私たちも互いに愛し合わなければなりません。具体的にそれはどういうことでしょうか。弟子の足を洗った出来事から学ぶと、それはへりくだって、互いに仕える姿勢をもつことです。行動においてその愛を示します。イエスの愛は十字架で苦しみを受ける愛でした。もちろん、私はイエスのように身代わりとなって、互いのために罪を背負うことができませんが、苦しみを同情出来ると思います。 苦しんでいる人と共に苦しみます。また、苦しめられる程兄弟姉妹に仕えます。パウロはテサロニケに行った時、イエスについて語りました。その語りかけを受けたテサロニケのクリスチャンたちは愛する意味が分かりました。ですから、兄弟の愛は十字架の愛から学びます。兄弟の愛は十字架の愛の適用です。

 

ヨハネの手紙の第一4:712神の愛、十字架の愛と互いに愛し合う深い関係が書かれています

7:愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、    愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。8:愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。9:神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。10:わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。 11:愛する者たち、神がこのようにわたしたちを愛されたのですから、わたしたちも互いに愛し合うべきです。12:いまだかつて神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」

 

3.恵みの福音から教えられた:テトス2章1113

11:実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。12:その恵みは、わたしたちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で、思慮深く、正しく、信心深く生活するように教え、13:また、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。

 

愛し合うことは、福音の救いのメッセージに含まれています。福音主義に立つ信仰者は正しく、キリストのみ、聖書のみ、十字架のみ、信仰のみを強調します。救いは行いによるではなく、信仰によるのです。その結果良い行いを歩む生活は救われた人の次のステップのようなものとなります。確かに、本当に愛し合うことの出発はまず、神に愛されていることを受けて、自分の罪を認めて、イエス・キリストを救い主として信じることですが、クリスチャンが信じる福音は愛し合うことを教える福音です。すなわち新しい生活を教えるものです。新しい生活を促すものです。 この部分はちょっと難しいですが、がまんして下さい。 短く3ケ所を紹介したいのです。

 

①テトス2章1113

この文書の主語に注目しましょう。11節「神の恵み」。神の恵みは何をしますか。文書の動詞を見つけます。「人々に救いをもたらす神の恵みが・・・(飛ばして)13節の終わりに・・「教えています」と書いてあります。神の恵みは何を教えますか。真ん中の文書を見ると、「信心深く生活するように」(敬虔に生きるように) と教えます。そのような生活は愛し合うことが含まれていると思います。すなわち、神の恵みの福音そのものが愛し合う生活を教えます。

 

②エフェソの信徒への手紙4章2022節

ここでも福音の教えと生きるべき生活の深いつながりが明らかです。

 

エフェソの信徒への手紙4章

20:しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。21:キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。22:だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、 23:心の底から新たにされて、24:神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」

 

「学ぶ」とか「教え」ということばが何回も出てきます。エフェソのクリスチャンたちの福音の学び方、そして、学んだ内容は異邦人と比較されています。エフェソのクリスチャンはどのようにキリスト(福音)を学んだかと言うと、22節を見てください。

「その教えとは」すなわち、キリストについての真理の福音とは、キリストと出会う前の古い自分を捨てることと、新しい人を身に着るべきことを教えています。25-32節はその新しくされた人々の生活が詳しく説明されています。5章2節にまとめられています:「愛によって歩みなさい」。

 

キリストの福音がそれを教えています。愛し合うことはただの福音に付け加えではなく、福音のメッセージに含まれています。ですから、私たちは福音を語る時、生活の変化まで教える責任があります。

 

テサロニケの教会の姿を見ると、彼等が生活において目立つ程変えられました。パウロが福音を語った時、生活の適用まで語ったということが分かります。

 

 

伝えたいことが分かりますか。愛し合うことは福音のメッセージに含まれています。その愛は十字架で示された愛で、新しくされた、御霊に満たされた信者が実行するものです。兄弟愛がなかったら、福音の理解が足らないかもしれません。兄弟愛は信仰の実行のようです。御霊の実でもあります。

 

ここで聖霊の教える働きについて考えたいのです。テサロニケのクリスチャンは「神から教えられた」と書いてあります。その教えはキリストの福音の中で、パウロを通して伝えられたものですが、その一つ教えは聖霊の働きです。

 

③1テサロニケ1章5節では、パウロは自分の働きについてこう言っています、

5:わたしたちの福音があなたがたに伝えられたのは、ただ言葉だけによらず、力と、聖霊と、強い確信とによったからです。わたしたちがあなたがたのところで、どのようにあなたがたのために働いたかは、御承知のとおりです。」

 

6節からは聖霊による喜びをもってみことばを受け入れました。私たちにも愛し合うことは聖霊によって教えられるものです。

   

6:そして、あなたがたはひどい苦しみの中で、聖霊による喜びをもって御言葉を受け入れ、わたしたちに倣う者、そして主に倣う者とな り、・・・ 

 

愛し合うことの意味と動機と大切さとやる気があっても、罪の結果愛し合うことは難しいです。パウロはそれが分って、新約聖書のほとんどの手紙に励ましのことばを書きました。されに、ますます邁進するようにと願いました。

 

【2.愛し合うことの具体的な実行について】

 

具体的に何をしてもっともっと愛し合うことができるでしょうか。

 

3点考えたいと思います。

1.赦し合う愛

2.主体的な愛

3.犠牲を払う愛

 

1.赦し合う愛

愛し合う実行の一つは赦し合うことです。神の愛は赦しの愛です。神の赦しを知らなければ、人を愛することは難しいです。福音書の印象に残る話を思い出します。パリサイ人の家で罪深い女が涙でイエスの足をぬらして、香油を塗った出来事です。(ルカ7章36−50)

 

その行動を見たシモンはびっくりしました。

でもイエスは次の説明をしました:「この人が多くの罪をゆるされたことは、私に示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。」 (ルカ7:47)

 

皆さんはどうでしょうか。イエス様の十字架による罪の赦しを自覚していますか。そうなら、他の人の罪も赦してあげましょう。

 

私の経験では、赦してあげない、あげたくない言い訳をすぐに言ってしまいます。相手が悔い改めるかどうか気になるし、自分のプライドを守りたいし、めんどくさいから赦せないままで日常生活を過します。その態度をもって人間関係はだんだん難しくなります。時間が立つともっと難しくなります。早いうちに、赦してあげましょう。私はなかなか子どもを赦せない。でも、私の罪を考えると、そして神が赦して下さったことを考えるともっと赦すべきだと分かってきます。赦してあげる態度だけでも、こどもとの関係を助けるという感じがします。教会の方との人間関係に問題があれば、赦してあげる態度をもって、愛し合う関係の生活が出来ます。あきらめないで、ますます赦し合うことにおいて愛し合いましょう。

 

2.主体的な愛

赦してあげる行動は主体性をもつ行動です。赦してもらうことを待つことよりも、積極的に赦してあげることの方が愛を示す行動でしょう。人間関係の問題では相手の責任もありますが、愛することはまず自分の方から、主体的に自分の責任をとります。夫婦の場合、男性は主体的にリーダーシップをとって、先にお詫(わ)びることは望ましいです!!!

 

教会のなかでは愛する機会がたくさんあります。頼まれる前に必要なことを探して、遠慮なく主体的にやって見て下さい。失敗することがあっても何か始まらないと愛いし合うことは成長しません。礼拝後、挨拶を言うこと、話しを聞くこと、賛美歌や聖書の片付、テーブルの設定、椅子の並び、お茶くばり、赤ちゃんの面倒、こどもと遊ぶこと、荷物の運びなどなど、さまざまな実際的な奉仕が必要とされています。頼まれる前にやってみませんか。主体的な愛をしましょう。

家庭は愛の訓練場と言えます。

 

 

学生も積極的に愛の行動をしてほしい。子どもの食事のあとをきれいにするとか、皿洗いをする・・

 

愛された経験の印象がのこります。愛されたように、愛してあげてもいいですよ。しかし、創造的な新鮮な行動もインパクトを与えます。積極的創造を使ってますます愛し合いましょう。

 

3.犠牲を払う愛

イエス様が示した愛は犠牲を払う愛でした。私たちを愛するために、苦しめられて、見捨てられて、裏切られました。本当に愛しようとしたら、リスクがあります。お金や時間やプライドや人気などが亡くなる場合があります。それでも愛しますか。

 

今、そのままで、浅い人間関係(挨拶程度)は進めますが、パウロが願ったことはそれより、さらに、ますます愛し合うことでした。犠牲を払う愛を求めました。

KGKに関わって、他のスタッフの犠牲を払う愛を見ています。一人だけを紹介します。卒業生のアシスタントであるN君です。彼はクリスチャンになって、京都大学の学院生でしたが、学生に福音を伝えるために、学びをやめて、1年間ボランティアとして、学校訪問をしたり、学生と時間を過したり、イエス様のことを分かち合いました。今年と昨年はGAとしてその奉仕を続けています。バイトをしながら、学生の世界に溶け込んで、クリスチャンの学生とともに証しの生活をしています。私にとってこのような愛は本当に励まされます。もうひとりの卒業生も紹介します。昨年卒業して、半年、ボランティア協力者として奉仕をしました。カンボディアで宣教師のこどもを教えています。皆さんも、愛に満ちた人々を知っているでしょう。

この二人の愛はすばらしいですが、犠牲を払う愛は見えない場合かあります。名前が知らない人によって、目立たない行動、報いを受けない愛です。

 

 

この教会に関われて、みなさんの暖かい愛を経験しています。感謝です。食事時の交わりはすばらしいです。(初めて伊丹教会に行った経験)

でも、パウロは今のままで止まらないで、さらに、ますます愛しあうように願っています。

学生と一緒にテサロニケの手紙を学んで、その後「ますます」という表現が流行っていました。「さらに」とか「ますます」ということばはこの手紙のテーマを示すことばです。パウロはテサロニケのクリスチャンの信仰と愛を心一杯に感謝しています。でも、もともと、その生活を歩むように願いました。西谷集会の信仰の歩みを感謝しています。どうぞ、さらに、ますます、互いに愛し合う教会であってください。(おわり)

 

 

 


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