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満ち足りた生活の秘訣

ウイリアム・モーア

2006.12.31

 

ヘブライ人への手紙13:1−8

 

【突然の遺産相続】

ある日、二人の友人が久しぶりに道端でばったり出会いました。一人はとても悲しそうな顔をして、目に涙がにじんでいました。その様子を見ると友人が驚き、「一体どうかしましたか」と尋ねる、彼はこのように説明しました。「三週間前に伯父が亡くなって遺言で500万円を頂いた」と言いました。「それは嬉しい事じゃないか。どうして悲しいですか」と友人が聞きました。「実は、二週間前にあまりよく知らなかったたいとこも死んで私に一千万円を残してくれたのよ」と悲しい友人は述べました。「あなたは運が本当に良いですね」と友人は返事すると相手は言いました。「どうして私の気持ちを理解してくれないの。先週大おばも急に息を引き取って、三千万円を譲ってくれた」と言いました。そうすると、納得出来なかった友人はこう聞きました。「こんなに恵まれているあなたは涙を流す必要がないのに、どうして悲しいですか。言って下さい。」「あなたはまだ私の気持ちが分からないの?。実は、今週は、誰一人死んでないので、一円も今週貰ってないから悔しいのよ」と彼は言いました。

 

【満ち足りる事とは】

今日、12月31日、私達は正に新しい年、2007年の玄関に立っています。後13時間ぐらいで2006年は完全に過ぎ去り、主イエス・キリストの2007年を迎える事が出来ます。この際、新しい年に入る私達は満ち足りる事について一緒に考えたいと思います。つまり、新しい年にはどういうふうに満ち足りた人生を歩む事が出来るのでしょうか。

 

【生活の不満】

実は、多くの人の人生は自分の不満足で振り回され、収入以上にお金を使い、必要以上に物を買って、間違えた事に集中する傾向があります。私達自身はどうでしょうか。そのような不満は神との関係と周りの者との関係を害します。特に、キリスト者は生活において不満を抱くと、人生の本当の目的と意味を忘れてしまう恐れがあります。

 

【他人のものは良く見える】

ある主人の職場の同僚が新しい家を購入しました。同僚の家を見に行くとその主人は妬みを深く感じました。何故なら、その家は自分の家よりも広いし豪華でした。そして、彼は早速不動産屋へ行って自分の家を売り出し、同僚よりもっと凄い家を買おうとしました。彼は毎日不動産の広告を見て、同僚に負けないような物件を探しました。そして、やっと丁度良い物件を見つけたと思いました。彼はすぐに不動産屋に電話して、「素晴らしい物件の広告を発見したので、他の人が買う前に、出来るだけ早く見に行きたい」と頼みました。そうすると、不動産屋は色々調べ彼に電話を掛けて、こう言いました。「お客様がお尋ねした素晴らしい物件は実は、お客様が現在住んでいらっしゃるお家である事をご存知ですか。」

 

今、「満ち足りた生活」と言う事は、目標と野心が悪いと言っている訳ではありません。現実的な目標と健全な野心はとても善い事だと思います。しかし、目標は欲望になり、持っている物と現在の状態で満ち足りる事が出来なくなったら、霊的と精神的な問題を伴います。

 

神の御言葉、聖書は人間の状態をよく知り、私達のよくある問題に対して素晴らしい知恵を授けて下さいます。満ち足りた生活の秘訣も教えて下さいます。今日の朗読、ヘブライ人への手紙13章1−8に色々な事について大変善きアドバイスがあります。お互いの愛や、もてなしや、思いやりや、結婚の関係などについて貴重な教えがあります。

 

そして、その教えの中にこう記されています。5節と6節を見て下さい。ヘブライ人への手紙13章5節の所を見て下さい。「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、『私は、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない』と言われました。だから、私たちは、はばからずに次のように言う事が出来ます。『主は私の助け手。私は恐れない。人は私に何が出来るだろう。』」

 

                          金銭に執着するな」
現在と同じように、イエス・キリストの時代の人々も、お金が全ての問題を解決出来ると信じる傾向がありました。お金を少し多く儲けると、お金をもう少しつかう事が出来、ハッピーになると言う考えです。もちろんお金は必要だし、勘定(かんじょう)を払うのとき助かります。ですから、今日与えられた御言葉はお金の事を非難している訳ではありません。しかし、「金銭に執着」する事はしてはいけないと書いてあります。何故と言いますと、お金そのものは満ち足りた生活を齎さないし、ハッピーな状態を保証出来ないからです。実は、もし自分の人生の焦点は主に収入と財産であるならば、満ち足りた生活は不可能であります。その理由は、昨日の贅沢は常に今日の必需品となり、満足する事はなかなか難しいからです。いつも、よりもっと欲しいのですが、その目標を達しても本当の満足がありません。また他の人が自分より、物質的に豊かな生活をすると、悔しいと思う傾向が強いです。その故に私達の満足と幸福をお金と財産に頼ると必ず最後にはがっかりします。

 

【決してあなたから離れず】

「今持っている物で満足しなさい」と5節の前半に書いてありますが、その大事な理由は5節の後半にあります。どうして今持っている物で満足出来るかと言いますと、その答えは、「神自身、『私は、決してあなたから離れず決してあなたを置き去りにはしない』と言われています。」

 

神の御子イエス・キリストこそがその約束をして下さいました。つまり、主イエスは肉体で私達と共にいなくても、御自分の御霊を通していつも私達と共にいて、見守って下さいます。そして、イエスは人間としてこの世を歩みましたので、もちろん私達のニーズがよく分かっていらっしゃいます。

 

【私は恐れない】

そして、御自分を信じる人にその必要を備えて下さいます。今日の個所に使徒パウロは次に詩編118編6節を引用します。「主は私の助け手。私は恐れない。人は私に何が出来るだろう。」

 

【満ち足りた人生の源】

実に、イエス・キリストは満ち足りた人生の源です。主イエスは人生の意味と目的と確かな希望と生きる為の力を与えて下さいます。そして、愛する主は私達の生活を守って下さいます。その故に満ち足りた生活を齎す事が出来ない金銭に執着しなくても良いのです。

 

多分皆さんもこの事についてイエス・キリストの教えを覚えていると思います。マタイによる福音書6章25節からこのよく知られた個所があります。「だから、言っておく。自分の命の事で何を食べようか、何を飲もうかと、また自分の体の事で何を着ようかと思い悩むな。命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか。空の鳥をよく見なさい。種を蒔かず、刈り入れるせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父はとりを養って下さる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。あなたがたのうち誰が、思い悩んだからといって、寿命をわずかでも延ばす事が出来ようか。なぜ、衣服の事で思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのようによそおって下さる。まして、あなたがたにはなおさらの事ではないか、信仰の薄い者たちよ。だから、『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな。それは皆、異邦人が切に求めているものだ。あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要な事をご存じてある。何よりも先ず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日の事まで思い悩むな。明日の事は明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である」と主イエスは教えられました。

 

【わたしの証】
牧師と宣教師としての25年の歩みを振り返って見ると、神の支えの素晴らしさが分かって来ました。ある時は明日の為の支えに想像もつきませんでしたが、明日になった時、神は必要な物を、いやそれ以上に備えて下さいました。主に神は御自分の民を通して助けの働きをされますが、私はある時はとても不思議な方法で助けられた体験を思い出します。

 

長男が大学に行く時の事ですが家計が難しい時期でした。その時、私の生命保険会社から思いがけない手紙が入りました。その手紙を見て自分の目を疑いました。これは本当なのかと信じられませんでした。その会社は相互保険制でしたが、ある株式保険会社が買い取りました。そして、契約者皆はその購入価格を分ける事になりました。その思いがけない授かり物は家計を大いに助けました。

 

こう言う体験はやはりポールとセーラが大学に行く時もそうです。二人とも必要な全てが思いがけない所から満たされています。これはただ偶然ではありません。私達のニーズを見て聞いている神は丁度必要な分を備えて下さいます。「昨日も、今日も、また永遠に変わる事のない」愛するイエス・キリストは私達といつも共にいて家計の事までも関心をもって、私達に必要なものを備えて下さるので、どんな状態でも満ち足りた生活が出来ます。

 

満ち足りた生活の秘訣がよく分かっていた使徒パウロはこのように書きました。「貧しく暮らす術も、豊かに暮らすすべも知っています。満腹していても、空腹であっても、物が有り余っていても不足していても、いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっています。私を強めて下さる方のお陰で、私にはすべてが可能です」と使徒パウロは記しました。(フィリピの信徒への手紙4章12−13)

 

【イエス・キリストにある平安と確信】

使徒パウロが経験した満ち足りた生活はもちろんお金で買う事が出来ません。それはイエス・キリストの僕としての平安と確信です。主イエスに徹底的に信じ頼った彼はどんな状態でも、満足出来ました。私達も病気の時でも、元気な時でも、一人でいても、愛する人と共にいても、貧しい時でも、豊かな時でもイエス・キリストの賜物で、満ち足りた生活を経験出来ます。

 

 

【2007年に向けて:神に頼り信じること】

愛する兄弟姉妹、2007年に全ての事において満ち足りた生活の唯一の源として主イエス・キリストを心から信じ頼りましょう。そうすると、神の豊かな恵みを経験出来、2007年はきっと素晴らしい年になります。

          

スタン•トーラと言う牧師が小さい時の経験をこのように述べました。トーラ先生のお父さんが失業になり、家族は経済的に大変困りました。食べ物がない為、ある日、五人の家族が夕食を食べずに寝てしまいました。朝になると小さいトーラ先生はお父さんと一緒に貧しい者に食料品をくれる市営倉庫へ行きました。寒い朝に長い列に立って待たされたその二人は疲れてきました。そして、お父さんはいきなりにこのように言いました。 「帰りましょう。このように食料品を求めなくても良いです。神は備えて下さるから家に帰る。」小さかったトーラ先生はそれを聞くと泣き出しました。お腹がひどく空いていた彼は兄弟とお母さんの為にも、何かを持って帰りたかったのです。しかし、お父さんは家の方へ歩き始めたのでトーラ先生は仕方なく付いて行きました。家に着くと皆はがっかりしましたけれどもお父さんは、「神が備えて下さると信じます」とまた言いました。ずっとその日の夕方まで待ちましたけれども食べる事が出来ませんでした。そして、「神はどうして私達を助けてくれないのか」と思った時に、玄関からドーアがコツコツたたく音を聞きました。ドーアを開けると、数人の教会の人が立っていました。そして、彼らは食べ物でいっぱいのスーパのポリ袋を持っていました。教会の人に感謝を表してから家族は中に入って大喜びました。神は実に食べ物を備えて下さいました。トーラ先生はその体験を通して神に信じ頼る喜びが分かってきました。どうか、私達一人一人もその喜びが分かるように祈っています。

(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         

 

          

 

  

 

 


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