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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

誘惑にNOと言えるあなた

ウイリアム・モーア

2007.9.16

 

聖書:コリントの信徒への手紙一10章13節

 

【厚かましいラクダ】

ある寒い夜、アラブ人が自分のテントに入り、寝ようとしました。彼が丁度眠りに入った時、自分のラクダが頭をテントに差し込んで、「外はあんまり寒いから足だけをテントに入れても良いですか」と願いました。ラクダが可哀そうと思ったアラブ人は少し考えてから、その願いを聞き届けました。そして、彼はもう一度毛布に包まって眠りに入りました。ラクダはたちまちにまた主人を起して、「あんまり寒いから寝られません。頭もテントに入れさせて下さい」と乞い求めました。アラブ人は臭いラクダの頭と近くに寝たくなかったのに、半分眠っていたからその願いも聞き入れて、ラクダは頭をテントの中に入れたのです。そして、しばらくしてから、ラクダはもう一度主人の目を覚めさせて、「お尻が凍ってしまうので、お尻もテントに入れたいですが、よろしいですか」と尋ねました。主人はラクダの大きなノミに食われたお尻をテントの中に許すのに抵抗を感じました。しかし、仕方がないと思って、自分のラクダの願いを叶えて上げました。

 

アラブ人は何とかもう一度眠り込みましたが、テントは段々狭くなった為、目が覚め起きてしまいました。そして、ラクダの足と頭とお尻だけではなく、ラクダ全体がテントにいました。アラブ人はびっくりして、「このテントはあなたと私、両方泊る余地がありません」とラクダに言ったところ、ラクダは、「余地がないと言えば、御主人の方が出たらどうでしょうか」と厚かましく返事しました。

          

【悪魔の戦略】

悪魔は私達に対しても同じような戦略を立てています。皆さん御存知ですか。悪魔は信者である私達を誘惑して、罪が少しずつ私達の人生に入り込んでしまいます。そして、ある日、私達は信仰生活に対して誘惑の力と罪の害を悟り、悪魔に、「私の生活にあなたと主イエス・キリスト両方の為の余地がありません」と言います。そうすると、悪魔は、「両方の為、余地がなかったら、イエス・キリストがあなたの生活から出た方が正解だ」と返事をかえします。

 

 

【誘惑に陥った結果】

今日は誘惑について一緒に考えたいと思います。そして、御言葉から学んで、誘惑にNOと言えるような戦略を立てたいのです。悪魔は私達が誘惑に負けるように励んでいるので、私達は誘惑と戦う戦略を立てなければなりません。

 

言うまでもないが、誘惑に負けて罪を犯す結果は深刻です。誘惑は家庭を壊す力があります。自分の評判と資産と健康とカリーアと人間関係と信仰さえも奪う能力が十分あります。受刑者一人も残らず、誘惑の故に罰を受けています。つまり、誘惑に負けた為、刑務所の世話になってしまいました。ガラテヤの信徒への手紙6章7節にこの御言葉が記されています。「思い違いをしてはいけません。神は、人から侮(あなど)られる事はありません。人は、自分の蒔いたものを、また刈り取る事になるのです。」

 

誘惑に負けて罪を犯すと、自分と周りの者に害を与える訳です。ある害は全てを無くす程大きいし、またある害は比較的に小さいですけれども、例外無く、罪はいつも良くない結果が伴います。そして、その結果の中で一番恐ろしいのは、誘惑に負けると、私達と神との関係をダメージします。特に、罪と知りながらでも、続けて同じ誘惑に負けると、信仰生活の勝利や力や喜びなどを半減させ、すぐ側にいらっしゃる神の御臨在も分からなくなる場合もあります。主イエスもこの世を歩んだ間、誘惑を受けたのでその恐ろしい力がよく分かりました。ですから、主の祈りに、「我等を試み(つまり誘惑)に合わせず、悪より救い出したまえ」と祈るように教えられました。私達は誘惑とその結果、罪を甘く見てはいけないと言う事です。

 

【誘惑に勝利する道】

誘惑の力は強いですけれども、今日の御言葉には誘惑に対して非常に「善いお知らせ」があります。つまり、誘惑の上に勝利の道があると言う訳です。コリントの信徒への手紙一10章13節の所を見て下さい。この13節の「試練」と翻訳された単語は「誘惑」と言う意味もあります。「あなたがたを襲った試練(つまり誘惑)で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練(あるいは誘惑)に遭わせる事はなさらず、試練、誘惑と共に、それに耐えられるように、逃れる道をも備えていて下さいます」と記されています。

 

御言葉によりますと誘惑は誰にでも襲って来ます。それはこの世に住む私達人間の全般的経験です。前に言いましたように、神の御子主イエス・キリストさえも激しい誘惑を受けたのです。悪魔が主イエスを砂漠へ連れて、全ての力を用いて主を誘惑しました。世界の全ての国々を主に見せて、「もし私を拝むなら、みんなあなたのものになる」と誘惑したのです。霊的に強い主イエスが誘惑されたら、もちろん弱い私達も誘惑を受ける事になります。私達の中で誘惑を受けていない者がいますか。もしいらっしゃったら、手を上げて下さい。自分を守る為、また方便の為に、偽りを言うように誘惑を受けた事がありますか。所得税の申告をする時、わずかでも自分の収入を過少に報告した誘惑の覚えがありますか。また、小さい事でむやみに人に怒る誘惑を経験した事がありますか。私達それぞれの弱さがありますので、誘惑は違っていると思いますが、間違いなく、私達皆は誘惑を経験します。しかし、幸いにも、今日与えられた個所にこの御言葉が書いてあります。「あなたがたを襲った試練(つまり誘惑)で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。」

 

つまり、どんなに激しく誘惑されても、勝利は絶対に可能性です。誘惑を拒否する事が出来、耐えられると記されています。誘惑は不可抗力と思えば、もちろん負ける事が多いです。しかし、どんな場合でも勝利出来ると信じたら、耐える時が多くなります。 

 

【誘惑に耐える】

その勝利の道は何所にありますか。今日の個所にこう書いてあります。 神は真実なお方です。あなたがたを耐えられないような誘惑に遭わせる事はなさらず、誘惑と共に、それに耐えられるように、逃れる道をも備えていて下さいます」と記されています。やはり、真実な神御自身が誘惑に耐えるように私達を助けて下さいます。先ず、私達が耐えられない誘惑から守って下さいます。主は私達一人一人を完全に知り、御自分の愛と憐れみの故、耐えられない誘惑に遭わせる事がありません。

 

つまり、神は私達が絶対に負ける誘惑から保護して下さいます。神の御陰でそのような誘惑を経験しません。ですから、私達が経験する全ての誘惑が例外無く、耐えられるようなものであります。なぜなら、誘惑に対して、主は「逃れる道を備えていて下さいます」と書いてあるのです。

 

【誘惑を逃れる道】

ですから、毎日の生活にその神によって備えられた「逃れる道」を歩むのは誘惑に対する私達の戦略になるべきです。その道以外は失敗と負ける道になってしまいます。先ず、誘惑に対する一番効果的武器は祈りです。

 

【祈り:「試みに合わせず、悪より救い出したまえ」】

何故なら、主イエス・キリストこそがその武器を勧めて下さいました。前に言いましたように、主イエスが弟子達に伝えた主の祈りに、「試みに合わせず、悪より救い出したまえ」と祈るように教えられました。つまり、誘惑に戦う為、神の助けを祈る必要があります。更に、敵に渡される夜、祈る為に主は弟子達をゲツセマネと言う園へ連れた時、弟子達は眠ってしまいました。そうすると、主は彼等に言われました。「誘惑に陥(おちい)らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」(マタイ26:41)誘惑されると、祈らなければなりません。その場、その時、その誘惑に耐えられるように神の力と助けを求めるべきです。自分が独りで誘惑を戦う必要がないのです。実は、独りで誘惑を戦おうとしたら、失敗かも知れません。神は喜んで私達を助け、共に勝利を得させて下さいます。

 

今日の御言葉の背景が少し分かると神の助けの必要性が悟られると思います。コリントの言う町のキリスト者は誘惑に対する自分の力を評価し過ぎました。信者になったら、完全に誘惑に免(まぬか)れると思い込みました。そして、彼等は平気で売春と酩酊と口に出せない程不品行が行う異教徒の祭りへ行って、それは誘惑にならないと思いました。しかし、実際にその環境は彼等に誘惑になり、罪に陥ってしまいました。もちろんその祭りに参加するべきではなかったが、神の助け無しで、独りでその誘惑に耐えるのは大変甘い考え方でした。神が備えて下さる祈りの「逃れる道」を通らなければ、失敗が多くなります。私達も独りで誘惑の力に耐えられません。ですから、誘惑に直面する時、祈ってみて下さい。「神様、どうかこの誘惑に負けないように助けて下さい」と心から祈って下さい。そうすると、きっと誘惑にNOと言えるようになり、勝利を得られます。

 

 

 

【誘惑するものから離れる】

誘惑からの「逃れる道」を歩む私達は戦略としてもう一つの武器があります。常識ですけれども、誘惑を招く物や、人や、環境などを避けた方が懸命です。覚えているかも知れませんが、旧約聖書の人物ヨセフは主人のポティファルの妻に誘惑されるとどうしましたか。彼はその家を逃げて外へ出ました。つまり、誘惑から走りました。私達はどうしますか。単純な例ですが、大食に誘惑されやすい人は大食出来る所に行かない方が良いです。又、大食を招く食料を家に持ち込まない事が賢いです。そして、仲間が不品行に参加し、あなたも同じ行為に参加するようにと誘惑すると、恐らくあなたは他の仲間に入った方が良いです。それは常識ですけれども、私達は常識をよく無視し、誘惑を招くものへ引っ張られています。

 

主イエスは私達にその傾向が分かってこのようなアドバイスを提供して下さいました。「もし片方の手があなたを躓かせるなら、切り捨ててしまいなさい。両手がそろったまま地獄の消えない火の中に落ちるよりは、片手になっても命にあずかる方がよい。...もし片方の目があなたを躓かせるなら、えぐり出しなさい。両方の目がそろったまま地獄に投げ込まれるよりは、一つの目になっても神の国に入る方がよい。」(マルコ9:43)

 

主はその大袈裟な言葉を通して誘惑になるものを避ける重要性を強調しました。誘惑された時、その環境と事情を注目して、出来るだけその後は、そう言うものを避けてみて下さい。とにかく、誘惑の元へ戻ってはいけません。

 

【誘惑に負けた時】

愛する兄弟姉妹、私達は神に頼って努力しても失敗する時があります。弱さの故、誘惑に負ける時があります。罪人ですから、この世にいる間、私達は完全になれません。しかし、失敗する時、心から悔い改めれば、神は主イエス・キリストの贖死のお陰で私達を赦し、清めて下さいます。私達を立ち直らせて、もう二度とその誘惑に負けないようにと決心を与えて下さい。その深い愛と憐れみを受ける私達は罪を犯して神を悲しませないように新たなに決心します。神様、どうか、私達一人一人を誘惑にNOと言える人に造りかえて下さい。(おわり)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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