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愛する神と悪の諸問題

ウイリアム・モーア

2007.9.23

 

ローマの信徒への手紙8章28節

 

 

【偶然の悲しい出来事】

この間、ロスアンジェルス•タイムズと言う新聞でこの悲しい記事を読みました。記事の題は、「生まれたての赤ちゃんが流れ弾で殺された」とありました。「ベビーカーに寝っていた23日の新生児がロスアンジェルスのマッカーサー公園で流れ弾に撃たれました。日曜日の午後9時30頃、母親が赤ちゃんを公園へ連れたときに撃ち合いに巻き込まれました。三人のラテン・アメリカ系男性と屋台の主人との間で射撃事件が起きて、一人の男も銃で打たれました。彼は病院へ運ばれ、安定した状態で治療を受けています。しかし、赤ちゃんルイス•ガシアが午後10時過ぎに病院で死を宣告されました。当局は事件を調べていますが、犯人達とその動機はまだ不明だそうです。

          

公園の周辺には小さい売店と屋台が沢山あり、その殆ど全部はラテン系の人の経営です。事件の近くの店の店長が事件についてこのように語りました。「多くの家族が買い物と公園に、ここに集まって来るのに、 残念ながら、ここは危険な所です。 近辺は暴力で悪名になってしまいました。」

 

皆さん、このような悲惨な出来事を聞くと、その赤ちゃんの家族の悲しみと怒りを容易に想像出来ると思います。もし、自分の家族にそのような酷い乱暴があったら、もちろん悔しくてたまりません。産まれたばかり無邪気な赤ちゃんがそのように無意味に殺されたのは悲劇の中の悲劇になります。その事件はこの世にあるもっとも酷い悪の縮図であると思います。

 

【この世の悪と悲惨】

その悲しい事件に対して、私達は唯一の全能の愛である神に、「いったいどうして、あなたの世界にそのような悪を許すのでしょうか。もしあなたは善いお方ならば、どうして御自分の世にこんなに酷い悪がありますか。また、主は全能の神であるなら、どうして、殺害と残虐と飢饉と病気がこんなに流行っているのでしょうか」とお尋ねします。無邪気な子供が流れ弾で殺され、戦争に巻き込まれた家族は貧困と絶望に陥られ、病で苦しんでいる者が数えきれません。

 

恐らく、皆さんも苦難と悲劇と痛みを経験すると、同じように、「神様、どうしてその事を許すのでしょうか」と聞くでしょう。私ももちろんこの問題について全てが分かりませんけれども、今朝、この難しい課題を一緒に扱いたいと思います。御言葉によって、悪の問題と神の主権について学びたいのです。

 

【神が善ならば何故?】

ある人はこのように考えます。「もし神が善いお方ならば、悪をこの世から取り除く意志があるはずです。そして、更にもし神は全能の神だったら、悪を滅ぼす力を持っているはずです。しかしながら、悪はこの世にまだ盛んになります。ですから、もし神が存在するなら、善いお方ではありません。あるいは、悪を取り除く力を持つお方でもありません」と言います。表面的にはこの推論は無理ではないと見えます。神の御言葉が分からない人はただこの世の状態を見たら、その結論に達する可能性があります。結局、神は全能の善い神であるなら、全ての悪を征服はずだと言います。

 

言うまでもないが、私達皆はまだ悪を見続けて、毎日経験します。更に、私達自身も毎日の生活を歩みながら罪を犯します。恐らく、神は本当に善い神ではありません。私達人間と同様に弱さと罪の故に失敗があるお方です。全能であっても、この世から悪を取り除く意志がありませんと言うかも知れません.しかし、それは御言葉の証ではないのです。詩編第16篇2節にこう記されています。「主に申します。『あなたは私の主。あなたのほかに私の幸いはありません。』」

 

ある日、「ユダヤ人の議員が主イエス・キリストに、『善い先生、何をすれば、永遠の命を受け継ぐ事が出来るでしょうか』と尋ねた。イエスは言われた。『何故、私を「善い」と言うのか。神おひとりのほかに、善い者はだれもいない。』(ルカ福音書18章1819

 

実は、聖書全体は人間に対する神の善意を記録します。人間は常に善い造り主である唯一の神に逆らいますのに、神は悪に悪を返しません。逆に、神は続けて私達を愛し、救いの道を開いて下さいました。間違いなく、神は完全に善いお方です。

 

もし神は善いお方で、そして、実際に悪を征服したい意志があっても、恐らく御自分の力が完全ではない為、悪がこの世に流行っているのでしょうか。つまり、神は悪と戦う能力が足りないので、悪に対して何も出来ないのですか。イザヤ書40章25−26を聞いて下さい。「お前達は私を誰に似せ、誰に比べようとするのか、と聖なる神は言われる。目を高く上げ、誰が天の万象(ばんしょう)を創造したかを見よ。それらを数えて、引き出された方それぞれの名を呼ばれる方の力の強さ、激しい勢(いきお)いから逃れうるものはない」と記されています。やはり、天地万物の創造主の力は十分です。全ての物を造る力があるなら、もちろん悪を征服する力もあります。

 

【神に出来ないこと】

しかし、神の力は完全ですけれども、同時に神には出来ない事もあります。それはちょっと矛盾と聞こえますね。しかし、確かです。全能の神には出来ない事があります。例えば、主は偽る事が出来ません。民数記23章19節に記された通りです。「神は人ではないから、偽る事は無い。人の子ではないから、悔いる事はない。言われた事を、なされない事があろうか。告げられた事を、成就されない事があろうか。」

 

更に、神は誘惑する事と誘惑に負ける事がありません。こう書いてあります。「誘惑に遭うとき、だれも、『神に誘惑されている』と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです」とヤコブの手紙1章13節に記されています。

 

【自由な被造物として】

つまり、全ての面で完璧である唯一の神は御自分の性格に合わない事が出来ない訳です。そして、人間を創造されたとき、神は御自分にかたどり、御自分に似せて私達をお造りになりました。と言うのは、動物と違って、私達は神を知り、神を愛する事が出来る訳です。そして、神は自由な被造物として私達を造りました。動物は本能のままに行動するけれども、人間は行動を自由に選択する特権が神によって与えられました。特に、神は私達が自由に御自分を愛し、御自分が教えられた祝福の道に従うように私達を創造されました。従って、本当の自由があれば、その自由を悪用して、神の愛と道を拒否する可能性が必要であります。

 

【あやつり人形でないために】

そうすると、人間が自由を悪用して悪と苦難が伴います。神は悪を無くす力が十分ありますが、無くしたら、人間の自由をも無くさなければなりません。そうすると、私達はあやつり人形のようになり、動物と同じような被造物になってしまいます。神が私達から自由を取り上げると、私達はもう人間ではありません。ですから、私達の人間性を保つ為、神は悪を許さなければなりません。

 

皆さん、難しい問題ですけれども、悪の存在は少し納得出来ますか。神の善と力が完全であっても、私達の自由と人間性を保つ為、悪の可能性を許さなければなりません。しかし、神はどうしてか、御自分の世にこんなに沢山の悪を許すのでしょうか。 赤ちゃんが流れ弾で殺される程の悪、無駄な戦争の為、民間人が犠牲になる悪、耐えられない痛みをもたらす病気の悪が多くあります。実は、神様はどうしてそのような酷い悪を許すのかは、私には分かりません。しかし、私はその理由が分からなくても、神はきっと分かっています。イザヤ書55章9節を読ませて頂きます。主は言われます。「天が地を高く超えているように、私の道はあなたたちの道を、私の思いはあなたたちの思いを、高く超えている」と記されています。

 

考えて見て下さい。子供達は親である私達の考えと行動が全て分かりません。ですから、もちろん私達も神の深い考えが全部分かるはずがありません。私達は神の理由が十分であると信頼しなければなりません。今は分からなくても、私達は天に召されると全てが分かると信じるべきです。

 

【嘆き】

次は、私達は悪を見て、その悪を経験すると、神に嘆いても良いのです。詩編のお話の中で多いのは嘆きになります。苦難と不正に対する叫びです。たとえば、詩編69編にこの嘆きがあります。「神よ、私を救って下さい。大水が喉元に達しました。私は深い沼にはまり込み、足がかりもありません。大水の深いそこにまで沈み、奔流が私を押し流します。叫び続けて疲れ、喉は涸れ、私の神を待ち望むあまり目は衰えてしまいました。」

 

私達も心から悪に対して神に嘆く事が出来ます。そして、神は私達の声を聞いて、理解し慰めて下さいます。

 

【万事が益となるように】

更に、御言葉に啓示されたように、神は悪を通してさえも御自分の善い目的を果たす力があります。ローマの信徒への手紙8章28節にこう記されています。「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くと言う事を、私達は知っています。」

 

この御言葉によりますと、悪そのものは善い事ではないけれども、神は悪を用いて私達の為に益をもたらします。例えば、苦難を経験する私達は、よりもっと神に頼る事を覚えます。又、苦しみの中、神の助けを頂くと、私達の信仰が強くなり、確かなものになります。更に、悪と不幸を経験すると、私達はお互い愛を現す機会が与えられています。「互いに重荷を担いなさい」(ガラテヤの信徒への手紙6:2)と言う御言葉を果たす事が出来ます。間違いなく、神は悪を通しても益をもたらす力と意志があります。

 

【喜びと勝利の時まで】

そして、もう一つの事を強調したいのです。天に召されると、私達は悪から完全に解放されます。天には涙と苦しみが無いし、私達は神によって完全にされますので、自由を悪用する事がありません。更に、イエス・キリストは再びこの世にいらっしゃると、罪の力を征服し、全ての悪をこの世から取り除いて下さいます。私達はその喜びと勝利を切に待ち望んでいます。

 

愛する兄弟姉妹、悪の問題は深刻ですけれども、神の愛と力は、どんな悪でも遥かにもっと強いのです。ですから、神の愛と力と助けを常に頼りながら、最後まで主イエス・キリストに従う事が出来ます。愛する兄弟姉妹、私達即ち「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くと言う事を、私達は知っています。」


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