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イエス・キリストのアドベント

ウイリアム・モーア

2007.12.2.

 

聖書:マラキ書3章1−4

 

 

【アドベント:明けましておめでとうございます】

皆さん、明けましておめでとうございます。そうです。明けましておめでとうございます。実は、今日は正にアドベント、すなわち待降節の始まりの日で、キリスト教暦年の元日になります。大昔からキリスト教会はクリスマス前の約四週間の間、世界の唯一の救い主であるイエス・キリストの御降誕を祝う心の準備をして来ました。そして、更に、将来、主が再びいらっしゃる事、主の再臨を私達はアドベントに心から待ち望みます。アドベントと言う単語の文字通り意味は、「出現」、あるいは、「いらっしゃる(来臨)」と言う事です。ですから、アドベントに私達は喜びを持って主イエスの降臨を記念すると同時に、大きな希望を抱き、これからの主の御再臨を待っています。

 

キリスト教会は結局主イエスの御降誕に起源を持ているので、当然教会暦年はアドベントで始まります。2007年前に父なる神は御自分の独り子イエス・キリストをこの世に遣わして下さいました。そして、主イエスの救いを通して私達は新しい命と新しい希望が与えられたのです。その比類なき程素晴らしい再出発を記念して、今日私達はアドベントの始まりと教会暦年の元日を覚え祝います。明けましておめでとうございます!

 

【アドベント•リース】

アドベントを豊かに守るように、毎年のように、今年も津村姉妹がまた私達の為にアドベント•リースを準備して下さいました。長い伝統ですから、リースはシンボルとして色々な深い意味を生じて来ました。先ず、リースの円形によって私達は神が始めもなければ終わりもない永久の神である事を覚えます。また、神の愛と憐れみは限りがないと言う意味もあります。そして、リースの常緑の葉っぱはイエス・キリストが賜って下さる新しい誕生と永遠の命を示します。更に、ろうそくの火は神の光、イエス・キリストのシンボルになります。

 

【世の光・主イエス】

世の光である主イエスの御降誕の際に、神、御自身がこの世にいらしゃって、救いと愛の光を全人類に照らして下さいました。アドベントの毎週、主の日に、外側のろうそくを一本ずつ点す事によって、イエス・キリストの御降誕を待ち望んでいると言う意味なのです。そして、真ん中のろうそくは「キリストのろうそく」と言われています。私達はやがてクリスマス礼拝を迎えるとそのろうそくを点します。神の光である主イエスはクリスマスの中心だけではなく、この世の歴史の中心である事の印になります。

 

外側の赤いろうそくは、一本、一本も特別な意味があります。それは主イエスの御降誕から来る、私達が頂いた賜物なのです。今日点すろうそくは希望を現します。来週のろうそくは平和を意味します。そして、その次のろうそくは喜びと、その次は愛を表します。今年のアドベントにその四つの貴重な賜物を覚えながらクリスマスを迎える準備を皆さん一人一人と共にしたいと思います。アドベント•リースを用いて私達は今年もクリスマスを記念し、共にその神の賜物、希望と平和と喜びと愛を新たに経験したいです。

 

【救い主の預言】

イエス・キリストの御降誕の何百年前から、イスラエルの預言者を通して神は救い主を約束して下さいました。ですから神の民は大きな希望を持って、その救い主を切に待ち望んでいました。その希望に支えられ、イスラエルは大変困難な歴史の中でも、信仰を守って神に頼りました。そして、神はやがて御自分の約束通りに御独り子主イエスをその始めのクリスマスにこの世に送って下さいました。主イエスは私達と共にこの世を歩んで、愛の完璧な道を教えたのです。そして、救い主として、十字架で私達の罪を贖って下さいました。その結果として誰でも主イエスを信じ従うと、神の赦された子供になり、永遠の命をも頂く事になります。

 

1節:彼はわが前に道を備える

さて、今朝は旧約聖書に於ける救い主について一つの預言を学びたいと思います。そして、イエス・キリストを通してどのようにしてその預言を果たされたかの事をも調べて見ましょう。マラキと言う預言者は約紀元前450年に、神の霊に導かれこのように主の御言葉を宣言されました。今日の朗読を見て下さい。マラキ書3章1節を読みます。「見よ、私は使者を送る。彼はわが前に道を備える。あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる」と記されています。ここで預言された神が送られる使者は誰でしょうか。それは救い主イエス・キリストの事ではありません。主イエスはただ神を代表する使者の役割ではないからです。主こそは神の独り子、子なる神です。実は、その預言された使者はバプテスマヨハネです。ヨハネはイエスの前に来て、主のお働きの為の準備をなさいました。「悔い改めよ。天の国は近づいた。」「悔い改めに相応しい実を結べ」と力強くて宣言されました。そして、悔い改めを表すように、人々に洗礼を施しました。このようにして、ヨハネは救い主イエス・キリストの前に道を備え、悔い改めた人々が主イエスを受け入れるように励んでいたのです。

 

ユダヤ教の指導者達がヨハネに、「あなたは、どなたですか」と質問した時、彼はこのように答えました。「私はメシア(すなわち救い主)ではない」とはっきりと返事したのです。「私は荒れ野で叫ぶ声である。主の道をまっすぐにせよ」と預言者イザヤの言葉を用いて自分の役割を説明したのです。更に、こう言いました。「私は水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなたがたの知らない方がおられる。その人は私の後から来られる方で、私はその履物のひもを解く資格もない」とパプテスマヨハネはイエス・キリストについて証を立てました。

 

【突如、その聖所に】

「あなたたちが待望している主は突如、その聖所に来られる」と預言者マラキが神の御言葉を預言しました。確かにここでの「待望している主」はイエス・キリストの事です。そして、「その聖所」はエルサレムにある神殿の事です。しかし、主イエスはいつ「突如」神殿に来られたのでしょうか。

 

【シメオン】

それはイエスが赤ちゃんの時、御両親ヨセフとマリアがその子をエルサレムの神殿へ連れて、ユダヤ教の律法に従って子供を神に献げました。神殿で彼等はシメオンと言う人物に出会いました。シメオンは長い間救い主を待望していて、非常に敬虔な方でした。そして、神の霊に導かれて、シメオンは丁度マリヤとヨセフが長子イエスを献げた時、神殿へ行きました。彼はイエスを見ると、不思議にその赤ちゃんは救い主である事がすぐ分かりました。シメオンは幼いイエスを腕に抱き、このように神を賛美したのです。「主よ、今こそあなたは、お言葉どおりこの僕を安らかに去らせて下さいます。私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の為に整えて下さった救いで、異邦人を照らす啓示の光。あなたの民イスラエルの誉れです。」(ルカによる福音書2:29−32)

 

シメオンはやっと神の約束された救い主を自分の目で見る事が出来、どんなに嬉しかったでしょう。長い間その希望を抱いて、そして神がその希望を叶えた時、自分の口から賛美しか出ませんでした。シメオンにとって、イエス・キリストは今日の朗読の一節の後半に於ける「喜びとしている契約の使者」になりました。

 

2節と3節は救い主の役割を啓示して下さいます。「だが、彼の来る日に誰が身を支えうるか。彼の現れるとき、誰が耐えうるか。彼は精錬する者の火、洗う者の灰汁のようだ。彼は精錬する者、銀を清める者として座し、レビの子らを清め、金や銀のように彼らの汚れを除く。彼らが主に献げ物を正しくささげる物となるためである」と記されています。

 

【罪を洗うお方】

やはりここで約束された救い主はおもに民を清める為に神によって遣わされるのです。洗う者と精錬する者のように人々の汚れを除いて下さる方です。それこそはイエス・キリストが果たされた役割ではありませんか。主イエスは十字架の上で私達の罪を負って、私達からその汚れを除いて下さったのです。つまり、私とあなたに代わり、主イエスは私達が払うべき罪の報酬を払って下さいました。その事によって神との関係が回復され、私達は主にとって好ましいものとなります。主は私達の為に罪と死の力を壊し、神の清められた子供になった私達に永遠の命を賜って下さいます。

 

【御自分の民ユダヤ人は】

主イエスは今日の御言葉に於ける預言だけではなく、多くの他の旧約聖書にある預言も果たしたのです。しかし、キリストは御自分の民のところへ来たが、民全体は主を受け入れませんでした。確かに彼等は救い主を待ち望んでいましたけれども、勝手にそのお方の役割を自分決めてしまいました。預言された、民を清めて下さる救い主の代わりに、政治的救い主を求めたのです。同じように、彼等は十字架の苦しみを受ける救い主を望みませんでした。むしろ、国の敵を十字架につける救い主の方を好みました。つまり、彼等は御言葉に於ける預言を無視して、最も必要な救い主を認めませんでした。神より賢いと思った彼等は、悲劇的に主の救いを失ってしまいました。

 

【わたしたちの救い主とは】

弱さと失敗の故に私達人間は誰でも救い主を求めているはずです。自分を本当に知る正直な人に、その必要さは明白です。しかし、私達は心の底ではどのような救い主を求めているのでしょうか。私達は今日イエス・キリストがこの所にいらっしゃることと、主は自分の救い主と確認出来ますか。あるいは、救い主はただ私達の都合にはまってしまう救い主でしょうか。主イエスが言われました。「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」(マタイによる福音書6:33)

 

どうか、今年のアドベントに、清めて下さる、義を与えて下さる、唯一の救い主、イエス・キリストを新たに迎えましょう。(おわり)

 

 


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