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占星術の学者達から学ぶ事

ウイリアム・モーア

2007.12.16

 

聖書:マタイによる福音書2章1−12節

 

【東方から来た占星術学者】

今日の御言葉に於ける占星術学者達の物語は神秘に包まれています。と言うのは、その人物の事についてあんまり知られていません。聖書には彼等の 国と人数、また名前さえも載ってありません。ただ、「占星術の学者達が東の方からエルサレムに来た」と記されています。ですから、長年にわたってその学者達について伝統が結構生じて来ました。例えば、彼等は主イエスに黄金(おうごん)、乳香(にゅうこう)、モツ薬の三つのお贈り物を献げたので、恐らく学者達三人で来たと思われますが、聖書を注意深く読んで見ると、それは確かな事ではありません。また、国はペルシア、つまり現代のイランと言う伝統がありますが、聖書にはただ、彼等は「東の方から」来たと書いてあります。ですから彼等はバビロニアかアラビアから来た可能性もあります。伝統によりますと学者達の名前はガスパルと、メルチオルと、バルテャザルですが、実際にその名前も不明です。さらに彼等はラクダに乗って来たと言う固定的なイメージがありますけれども、それも憶測に過ぎません。

 

【占星術の学者とは】

「占星術の学者」と日本語に訳されたギリシャ語の原語は「マゴイ」です。マゴイはその時代の学問が一番優れた人物でした。色んな課目を学んだ彼等は、当時の学者、あるいは博士でした。彼等の優れた学問の故、中東の諸国でマゴイは国王の顧問になり、地位のとても高い者でした。そして、彼等が学んだ課目の中で天文学と占星術が重要でした。星と惑星の位置と運行によって人や国家の運命が分かると信じた彼等は常に夜の空を研究しました。

 

【ユダヤ人の王の星】

ある日、彼等は空に珍しい星の動きを発見しました。東方でユダヤ人の王の星を見つけました。マゴイはどうして、それがユダヤ人の王の星であると知ったのかは聖書に説明がありません。恐らく、神こそが不思議に彼等の占星術に対する信頼を用いて、御子イエス・キリストの誕生を遠い外国までも発表されたのです。とにかく、彼等はその星を見て、それはユダヤ人の王の誕生の目印と固く信じたのです。

 

そして、その星が発表したユダヤ人の王は、ただ普通の国王ではないと占星術学者には分かったと思います。全ての国王の誕生はそのような劇的な印で発表された訳ではないのです。その王は特別な運命があって、天からの力で、世をすっかり変える人物になると信じたでしょう。ですから、彼等はどうしても拝む為に、早速そのお方を探しに行きました。

 

占星術の学者達は自分の国と家を離れ、難しく危険な旅へ出発しました。しかも、彼等はその目的地と旅の距離と帰る時さえもさっぱり分かり知りませんでした。彼等が出掛けた時、廻りの者は大変心配したと思います。「旅へ出掛けますか。」「うん、そうです。」「どこへ行きますか。」「実は、目的地はまだ不明です。」「では、距離はどのくらいになりますか。」「それも分かりません。」「じゃ、いつ帰って来ますか。少なくともその事を教えて下さい。」「その事もはっきり分かりません。」学者達であってもそのような旅へ出掛けるのは、あんまり賢くはないと思う人がいたかも知れません。

 

【信仰の故に】

彼等は一体どう言う動機で星が示したユダヤ人の王を探しに出掛けたのでしょうか。決してそれはただ好奇心か旅の楽しみの為ではありません。それは何よりも信仰の故に、ユダヤ人の王との出会いの為、知らない所へ向かいました。神は彼等の為にわざわざその星の印を大空に置きました。彼等はその印を徹底的に信じ、信仰の旅へ出掛けました。そして、エルサレムに着くと早速当局へ行って、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私達は東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言いました。彼等は星の印を見て、その王として生まれた方の存在を信じました。ただその人物の場所が分からなかったのです。王として生まれた方なら、当然当局には、その人物の居場所が分かるはずと思って、彼等は都エルサレムで尋ねました。

 

実は、神に従おうとしたら、信仰が必要であります。ヘブライ人への手紙にこう書いてあります。ヘブライ人への手紙11章6の所を見て下さい。「信仰がなければ、神に喜ばれる事は出来ません。神に近つく者は、神が存在しておられる事、また、神は御自分を求める者たちに報いて下さる方である事を、信じていなければならないからです。」

 

【アブラハムの信仰】

アブラハムは信仰の必要性がよく分かりました。神は彼にこう言われました。「あなたは生まれ故郷、父の家を離れて、私が示す地に行きなさい。私はあなたを大いなる国民にし、あなたを祝福し、あなたの名を高める、祝福の源となるように。・・・地上の氏族は全てあなたによって祝福に入る。」(創世記11章1−3節)

 

アブラハムはその約束を信じ、全てを置いて神に導かれて知らない国へ旅立ちました。そして、約束通りに神は彼を豊かに祝福し、また、全人類の為に祝福の源となりました。

 

【ノアの信仰】

信仰と言えば、ノアの事も思い出します。雨がまだ降らなかったのに、彼は神の命令で箱船を作って、動物と自分の家族を乗せました。始め、ノアは周りの者の笑い者になりましたが、大雨が降り続けて全地が洪水に遭うと、彼の信仰が証明されたのです。

 

【四人の漁師の信仰】

同じように主イエスは四人の漁師を御自分の弟子として選びました時、「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう」と彼等を招きました。彼等は直ちに網を捨ててイエスに従いました。そして、その漁師達は弟子になり多くの人を真の信仰に導きました。

 

私も神学校を卒業して家内と一緒にアメリカの教会を牧会していました。新しい家を建てて自分の家が完成すると言うところで、その時の神の声に従わなかったら、今の私達はいませんでした。私達皆はこれから先は何も見えません。分かりませんが、神を信じる心があります。信仰があります。神の力があります。皆さんも寒い朝、もう少し休みたいですが、起きてはるばるここ西谷集会へ礼拝する為に出掛けて来ました。

 

私達も占星術学者と、アブラハムと、ノアと、主イエスの弟子達と同じように、信仰を持って神に従っています。その信仰の先輩達は忠実に神の声を聞いて、徹底的にその声を信じたのです。彼等と同様に、私達は神の働きをすると、主を喜ばせる事が出来、又、意味と満足の溢れる生活が歩めます。

 

 

【真の礼拝】

私達は占星術学者から信仰を学ぶ事が出来ます。しかし、それだけではなく、彼等から礼拝の重要性も学べます。占星術学者達はどう言う目的でその知らない所へ旅立ちましたか。それは礼拝です。彼等は、「私達は東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と言いました。実は、真の礼拝はいつも犠牲が伴います。占星術学者達は主イエスを拝む為に家族と国から離れ、遠い外国まで旅をしました。そして、その旅は色々な苦労と危機に会ったと思います。しかし、その苦労の故に、主の家まで星に導かれ、やっとイエス様を見た時、彼等は喜びをよりもっと経験出来ました。こう書いてあります。「東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者達はその星を見て喜びに溢れた。家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼等はひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、モツ薬を贈り物として献げた」と記されています。

ダビデ王は礼拝と犠牲についてこのように言われました。「無償で得た焼き尽くす献げ物を私の神、主にささげる事は出来ない。」(サムエル記下24章24b

 

更に、使徒パウロはローマの信徒への手紙12章1bにこう書きました。「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。」

 

【愛する神になにを捧げるか】

私達は愛する神に何を献げるべきでしょうか。実は、神は何よりも私達から「自分自身」を求めておられます。私達は今、主に礼拝を捧げています。今朝起きて、この所まで来る事によって、私達の時間を神に捧げます。同様に心から祈って、讃美歌を賛美し、真剣に御言葉を受け入れると、私達は「自分」を神に捧げます。更に、献金を犠牲的に捧げると神に喜ばれるものになります。主イエスが言われました、「神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」(ヨハネによる福音書4章24)

 

占星術学者達は自分の時間と自分の安楽と自分の宝を喜んで主イエスに捧げたのです。私達は同じようにするべきです。

 

【宣教師を慰問した弁護士と実業家が見たもの】

あるお金持ちの弁護士と実業家が自分の教会がサポートする宣教師を励ます為、宣教師が務める貧しい国まで出掛けました。そして、宣教師はその二人を深い田舎の教会へ連れていった時、彼等は車の窓から珍しい光景を見ました。田圃に青年が鋤を自分の力で引いて、後ろから年寄りがその鋤を持って操作していたのです。その国の貧しさを母教会の人々に見せる為、弁護士と実業家は車を降りて写真を撮りました。弁護士は、「それは本当に情けない光景ですね」とコメントすると、宣教師はこう言いました。「私はその家族をよく知っています。彼等はキリスト者で最近教会の会堂が建てられた時、献金をどうしても捧げたかったのです。しかし、お金が全然ありませんでしたので、その家族は唯一の牛を売り出して、そのお金を献金したのです。ですから今年の春は人力で田圃を耕しています。」実業家は言いました。「それは本当に大きな犠牲だったね。」宣教師は言いました。「彼等はそれを犠牲だと思っていません。その家族は、売る事が出来る牛があって良かったと言いました。」

 

【真に捧げる者となる】

弁護士が帰国すると田圃で撮った写真を自分の教会の牧師に見せて、ストーリを語ってからこう言いました。「私はこの旅で大きな恵みを頂きました。旅先で会った人々を通して大事な真理を悟らされました。ぜひ私に神様の仕事を沢山させて下さい。また、献金を二倍捧げたいのです。恥ずかしい事ですが、実は私は今まで主の為に何の犠牲もしなかったと思います。これからは私に取って本当にコストのある物を神に捧げたいのです。」

 

【神の犠牲】

神は御独り子イエス・キリストを犠牲にし、惜しまずに私達に下さいました。どうか私達は今年のアドベントに、占星術の学者達から真の信仰と犠牲的礼拝を学びましょう。(おわり)

 

 

 

 

          

 

 


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