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身に着けるべきもの

ウイリアム・モーア

2008.1.27

 

コロサイの信徒への手紙3章12−17

 

【もったいない】

うちの両親は宣教師だったので、私が大きくなるまで、家族は貧乏ではないけれども、それ程の余裕もありませんでした。ですから私達は出来るだけ節約して暮らしてきました。石油の変わりに石炭を使って暖房しました。又、家の後ろの畑で野菜を作り、冬の為に沢山瓶詰めにしました。両親は電気と水の無駄使いを見ると、私達兄弟に注意しました。小さい時からその訓練を受けた私は、大人になっても自動的につけっぱなしの明かりを消すようになりました。ある時、家族が部屋にいたのに、私が出る時、うっかりライトを切ってしまった事もあります。ですから私は日本の「勿体ない」と言う概念に心から賛成します。

 

【お下がり】

実は節約する為、小さい時、お母さんは私を兄のお下がりを着せたのです。僕は三人の兄弟の真ん中で、兄の洋服を着て、そして、弟は私の洋服を着せられました。しかし、お下がりばかり着るのは可哀そうだとちっとも思いませんでした。当然だと思ったのです。その上、兄の洋服が着られる事は私の成長の表れになりましたので、喜んでその服を貰いました。身長が伸びたと言う事を皆に見せたい故に、誇りを持ってその古着を着たのを覚えます。子供の頃のその事を思い出すと笑いますが、不思議にその無邪気な時を憧れます。

 

【主イエスからのお下がり】

今朝、皆さんにお下がりを差し上げたいと思います。しかし、そのお下がりは私からではありません。もし私からであったら、きっと大き過ぎて全然合わないでしょう。実は、差し上げるお下がりは主イエス・キリストからのものです。主イエスこそがその着物を着ましたが、今は私達が着るようにと切に願っておられます。今日の御言葉の12節にその「身に着ける」ものが記されています。それは、「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、と寛容です。」そして、そのイエス・キリストのお下がりを着ると、私達は主に似ていくので、廻りの者が私達の中に主を見る事が出来ます。

 

【古き人の着物を捨てる】

主イエスが提供して下さるものを着る理由があります。それはキリストに従うと、私達は古い人の着物を脱いだからです。今日与えられた個所の少しの前の所を見て下さい。コロサイの信徒への手紙3章8から見て下さい。「今は、そのすべてを、すなわち、怒り、いきどおり、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。互いに嘘をついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、造り主の姿に倣う新しい人を身に着け、日々新たにされて、真の知識に達するのです。」

 

【なぜイエスのお下がりが必要か】

古い人の悪い着物を脱ぎ捨てると、私達は裸です。そして、その悪い着物の代わりに良いものに着替えなければなりません。つまり、古い人の癖を捨てる為に、その悪いものの代わりに善い行動と考え方を身につける必要があります。ただ、ぼろ臭い古い人のものを脱ぐのだけでは不十分であります。そうすると寒くて、恥ずかしいので、すぐに古いものへ戻ってしまいます。繰り返しまた古い人のように生きるのです。ですから古いものを脱ぐと、直ちに主イエス・キリストのお下がりを身につける必要が絶対にあります。そのものを着ますと、価値観と生き方が変わります。昨日までは全てが不満と不平で一杯だったのですが、今日は全てが感謝に溢れるのです。全てが新しくなりますので古いものはもういりません。

 

【主の憐れみの心】

主イエスが私達に提供して下さる衣類を一枚ずつ一緒に見たいのです。先ず、イエスは「憐れみの心」を身に着けさせて下さいます。ここでの憐れみの心はおもに困っている、苦しんでいる者に対する具体的思い遣りと助けです。イエス・キリストはこの世を歩んだ間、憐れみを常に現しました。友のない者の友になり、盲人の視力を回復させて、ライ病患者を清め、無知な人を教え、飢えた者を食べさせ、そして死んだ人を復活させて下さいました。更に、最も大事なこと、罪の故に滅びに向かっている全人類の永遠の救いの為に、十字架で神の赦しと永遠の命の道を開きました。

 

つまり、主イエスは罪深い私達の為に御自分の命を捨てて下さいました。キリスト者はその同じような憐れみの心を身に着けるべきだと教えられています。具体的行動によって苦しんでいる者を誰でも助ける心です。

 

【主の慈愛】

今度は私達は「慈愛」を身に着けます。それは憐れみの心に似ていますが、もう少し一般的です。特に困っている者だけではなく、全ての人に対する思い遣りを現す事です。特に、自分の思い遣りを受ける価値がない者に対する暖かい待遇です。主イエスは徴税人ザアカイに慈愛を現しました。彼はユダヤ人なのにローマ帝国の為に税金を無理に同民族から取りました。罪人として皆によって嫌われたのに、イエスはザアカイをわざわざ呼んで、彼の家を訪ね、食事を一緒に取りました。そして、主がザアカイを受け入れて下さいましたので、彼は悔い改め、ユダヤ人の社会に戻る事が出来ました。主に従う私達はその同じ慈愛を身に着け、皆に現します。

 

【主の謙遜】

次はキリスト者は「謙遜」と言うものを主イエスから頂き、身に着けます。私達は自分の威信(いしん)を保つ心を持つよりも、相手を自分よりも優れた者と考えるべきです(フィリピの信徒への手紙2章3)。主イエスは私達の謙遜の模範になります。人類の為に天国のあらゆる特権を捨てて、人間の赤ちゃんになり、普通の家族に生まれました。神の独り子なのに、主は全ての人を心から愛して、高く評価しました。そして、罪人の為に最も恥ずかしい十字架の死を自ら進んで経験されました。私達の益の為、イエスは自分を低くして、威信とプライドを捨てて下さいました。私達は主が示したそのような謙遜を身に付け、廻りの者に示すべきです。

【主の柔和】

更に、私達は「柔和」と言う着物をイエス・キリストから頂きます。柔和な人は決して弱虫ではありません。却って、柔和な人は敵に傷つける力が十分あるのに、その代わりに傷を受ける方が優る事だと考えるのです。つまり、柔和は監督された力です。神の御子として、私達の模範である主イエスは御自分の敵を瞬間的に滅ぼす力がありました。間違いなく、自分を十字架に付けようとする人を十字架に付ける実力があったのです。しかし、その能力を利用せず、その代わりに柔和になり、罪人の為に、敵の為に、十字架の死を受けられました。

 

愛する兄弟姉妹、その同じような柔和を身に付けて、毎日の生活を通して現していますか。

 

【主の寛容】

更に私達は「寛容」と言うものを着るようにと教えられています。人に対して恨みと復讐心を抱く理由が十分あるのに、その気持ちを捨てて、人の罪過(ざいか)を厳しく責めないで、却って相手を赦し、受け入れる事はここでの寛容です。神は私達一人一人に大きな寛容を現しています。全人類は罪深いなのに主は私達を滅ぼすのではなく、御自分にとって大きな損を受け、赦しの道を開いて下さいました。その上、私達がその赦しと救いの道を歩むまで、神は測り知れない忍耐を持って下さいます。その素晴らしい寛容を頂いた私達は、同じような寛容を持って、隣人を扱うべきではありませんか。

 

【互いに忍び合い、赦し合いなさい】

13節を見ますとこう書いてあります。「互いに忍び合い、責めるべき事があっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたも同じようにしなさい。」ここで、「相手が反省して謝罪しに来たら、赦しなさい」と記されていません。 責めるべき事があっても、赦し合いなさい」とはっきりと書いてあります。そして、どのように赦すのですか。「主があなたがたを赦して下さったように、あなたがたも同じようにしなさい」と教えられています。

 

愛する兄弟姉妹、考えて見て下さい。主イエスはあなたをどのように赦したのですか。主は喜んで、直ぐに、完全に、また犠牲的に私達皆を赦したのです。ですから私達は相手をそのように赦すと、神は喜びます。

【愛:最も大事な主イエスのお下がり】

最も大事な主イエスのお下がりは最後に授けられています。14節を見て下さい。「これら全てに加えて、愛を身に付けなさい。愛は、全てを完成させるきずなです」と書いてあります。実は、私達の動機は何よりも愛でなければ、主イエスから頂いた衣類はなかなか長く着られない。我慢すれば、愛無しで短時間着られるかも知れませんが、きつすぎるスーツのように苦しくて、ついに脱がなければなりません。しかし、愛があれば、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、と寛容を自分にピッタリ合って、最後までも喜んで着られます。

 

使徒パウロはコリントの第一の手紙13章1−3節に、愛の重要性をこのように表現しました。「たとえ、人々の異言、天使達の異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない」と。

 

【愛の業】

しかし、誰でも主イエスが示された神の愛を経験して、主の助けでその同じような愛を持って隣人に現すとき、キリストから授けられた衣類は楽で着やすいです。

 

何故なら、人に対して 積極的に愛の業を行うと、心からの愛の態度がきっと伴ってきます。愛する兄弟姉妹、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容と愛を主イエスによって着せられ、主と隣人に仕えましょう。(おわり)


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