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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

盾となる神のお守り 

ウイリアム・モーア

2008.2.10

 

詩編5篇1−13
 1:【指揮者によって。笛に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

  2:主よ、わたしの言葉に耳を傾け/つぶやきを聞き分けてください。3:わたしの王、わたしの神よ/助けを求めて叫ぶ声を聞いてください。 あなたに向かって祈ります。

  4:主よ、朝ごとに、わたしの声を聞いてください。朝ごとに、わたしは御前に訴え出て/あなたを仰ぎ望みます。5:あなたは、決して/逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿ることを許されず6:誇り高い者は御目に向かって立つことができず/悪を行う者はすべて憎まれます。

  7:主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし/流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。

  8:しかしわたしは、深い慈しみをいただいて/あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し/あなたを畏れ敬います。

  9:主よ、恵みの御業のうちにわたしを導き/まっすぐにあなたの道を歩ませてください。わたしを陥れようとする者がいます。10:彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑らかで/喉は開いた墓、腹は滅びの淵。11:神よ、彼らを罪に定め/そのたくらみのゆえに打ち倒してください。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落としてください。

 12:あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い/とこしえに喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ/あなたによって喜び誇ります。13:主よ、あなたは従う人を祝福し/御旨のままに、盾となってお守りくださいます。

 

 

【讃美の歌】

今日は私達の詩編の学びを続けたいと思います。月一回、順に詩編の教えを受けて来ました。そして、今日は詩編第5編になります。覚えていらっしゃると思いますが、「詩編」と訳されたヘブライ語の単語の意味は「讃美」あるいは、「讃美の歌」です。ですから、信仰において私達の先祖は個人と集団の礼拝に詩編を歌いました。私達が讃美歌を歌うように、彼等は詩編を歌ったのです。実は、私達が歌う多くの讃美歌は詩編の歌詞に基づいています。例えば、先程歌いました讃美歌88番は詩編90編の影響を受けました。

 

【慰められ、喜ぶ事】

聖書の全ての書の中で詩編は特別な役割があります。特に、傷つけられた時、落胆の時、又、危機に陥っている時、詩編を読むと、魂が生き返られ、悲しみの中にいても、慰められ、喜ぶ事が出来ます。

 

【ダビデの詩】

今日の御言葉の一節によりますと、詩編第5編はイスラエルの王ダビデの詩です。ダビデは自分の生涯に色んな事を経験し、良い時があれば難しい時も沢山ありました。彼はもちろん正しい行いもすれば、罪も結構犯してしまいました。しかし、ダビデはその全てにおいて、神との関係を何よりも大事にし、常に主の御前に生きたのです。神御自身が彼を「御心に適う人」と呼んだのです。(サムエル記上13:14

 

ですから、私達は御言葉であるダビデの詩を通して、信仰が強められ、特に難しい時を迎えると、神の声を聞き、神により近付き、信仰によって勝利が得られるのです。

 

【ダビデに敵対する者】

ダビデ王は何よりも勇士でした。自分の生涯にわたって戦いが多かったのです。青年の時、羊飼いとして、自分の群れを守る為に熊とライオンと戦いました。又、神の助けによって独りで巨人戦士ゴリアテを征服しました。そして、ダビデは王になるとイスラエルの敵国と戦いました。現在と同じようにダビデの時代もイスラエルを滅ぼそうと敵の国がかなりありました。その上に、自分の民族の中にも敵がありました。特に、彼の前任者であるサウロ王は彼の実力とカリスマを恐れ、嫉妬(しっと)でダビデを何回も殺そうとしました。そして、自分の息子アブサロムはダビデの王権を奪う為、謀反を起こしてしまいました。ダビデの人生はいつも危機に襲われていたような歩みでした。しかし、彼はその多くの戦いを通して、何よりも第一に神を信じ頼りましたので、全てを耐える事が出来、勝利を得られました。

 

【口頭攻撃】

今日学ぶ詩編第5編でもダビデは敵の攻撃を受けて悩まされました。しかし、その攻撃は戦場の戦いで受けたのではありません。実は、敵は彼に対して口頭攻撃を開始しました。ダビデ王を倒す為、彼に対して悪意のある偽りが広がりました。7節を見ますとこう書いてあります。「主よ、あなたは偽って語る者を滅ぼし、流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます。」更に、9節の後半からこの言葉が記されています。「わたしを陥れようとする者がいます。彼らの口は正しいことを語らず、舌は滑(なめ)らかで、喉は開いた墓、腹は滅びの淵(ふち)。」

 

その口頭攻撃の内容ははっきりと教えられていませんが、ダビデにとって大変苦しかったのです。多分、その攻撃は自分の人格と動機を襲ったものではないかと思います。国の為に自分を犠牲にし、最善を尽くしてきたのに、敵は彼の王座を取る為に、嘘を用いて国民の気持ちをダビデ王から離れさせようとしたのです。

 

【ダビデの模範に倣う】

愛する皆さん、ダビデの気持ちが想像出来ますか。昔も今もこう言う事がいつもありますね。私達は少しでも悪口の対象になると、心が苦しいのです。私達は誰も人が陰で自分の事を批判するのは望ましく思いません。特に私達キリスト者は愛を持って、お互いに弱さを担うべきです。ですから、そのような経験を通して、今日の御言葉を学ぶと、自分がダビデ王になったような気持ちで同情出来ると思います。しかし、もっと大事に、そのような経験をするとき、今日の御言葉が教えるダビデの模範を通して問題を正しく扱う事が出来ます。

 

2節から4節を読みます。「主よ、私の言葉に耳を傾け、つぶやきを聞き分けて下さい。私の王、私の神よ、助けを求めて叫び声を聞いて下さい。あなたに向かって祈ります。主よ、朝ごとに、私の声を聞いて下さい。朝ごとに、私は御前に訴え出て、あなたを仰ぎ望みます。」

 

【祈り】

皆さん、攻撃を受けると、ダビデはどうしましたか。敵に対して自分の怒りを現しましたか。また、陰で人々に、相手について偽りを告げましたか。あるいは、仲間と共に復讐を企みましたか。違います。その代わりに、ダビデは愛する神にのみ向いて、その助けを祈りました。実は、この詩編全体は神に捧げたお祈りです。愛する者から攻撃されたら、神に祈りました。相手が彼について偽りを言うと、神に祈りました。人よりも神の助けと理解がダビデにとって遥かに大事なものでした。自分の感情と知恵に従うのではなく、主の導きを高く評価しました。そして、嵐の中にいても、祈りを通して平安と力と神の知恵を頂きました。

 

【先ず主に聞く】

皆さん、私達はダビデの立場になるとどうでしょうか。先ず自分と廻りの者の力と知恵に頼り、あらゆる手段を尽くしてみても、うまく行かなかったら最後に主の助けを求めます。ダビデの模範を見ると、そうしてはいけません。逆に先ず、祈りを通して神の御前に行って主の助けを求めるべきです。先ず主に聞きます。そうしますと、神は私達の祈祷を聞き、答えて下さいます。

 

【主に逆らう者】

次の詩句にダビデは自分の敵に目を向けました。しかし、彼らを呪うのではなく、神の立場から彼らを見たのです。5節から見て下さい。「あなたは、(すなわち、神は)決して逆らう者を喜ぶ神ではありません。悪人は御もとに宿る事を許されず、誇り高い者は御目に向かって立つ事が出来ず、悪を行う者は全て憎まれます。主よ、あなたは偽って語るものを滅ぼし流血の罪を犯す者、欺く者をいとわれます」と記されています。

 

 

ここでダビデ王は結局自分の敵の裁きを神に任せました。神は悪を行なう者、偽って語る者を裁きますので、ダビデ自身は彼らを罰する必要が全くありませんでした。正義である神御自身がちゃんとその役割を果たしますので、ダビデは「復讐してはならない」と言う主の戒めを守る事が出来ました。

 

私達も忍耐を持って人の罰を神に任せなければなりません。それは神のお仕事ですから、私達の責任の範囲ではないのです。正義の神はその役割を完璧に果たしますので、私達はどんな人に出会っても苦しまなくても良いのです。ですから私達は大きな慰めと解放感と共に主にあって喜ぶ事が出来ます。

 

【聖なる神殿に】

第三の詩句は8節と9節です。ここでダビデは敵の事の代わりに自分自身の事に注目しました。「しかし、私は、深い慈しみを頂いて、あなたの家に入り、聖なる宮に向かってひれ伏し、あなたを畏れ敬います。主よ、恵みの御業のうちに私を導き、まっすぐにあなたの道を歩ませてください。」

 

ダビデは相手によって苦しめられた時、神殿へ行って、神を礼拝しました。そして、その礼拝を通して、主の豊かな恵みを新たに覚え、力と希望が与えられました。神は相手より遥かに強い味方であるから、とても心強く思いました。しかし、その礼拝はもう一つの役割がありました。彼はこのように祈りました。「主よ、恵みの御業のうちに私を導き、まっすぐにあなたの道を歩ませてください。」

 

【相手と同じ罪を犯さないために】

ここでダビデは、自分の敵と同じ事をしないように神に願いました。襲われた時、私達は本能的に自分を守ります。相手の悪い行動を真似して、仕返ししようとします。しかしながら、その事をすると、相手のレベルに落ちて、相手が犯す同じ罪を犯してしまいます。使徒パウロもその危機を認めて、ローマの信徒への手紙にこのように教えられました。「あなたは、他人を裁きながら、実は自分自身を罪に定めている。あなたも人を裁いて、同じ事をしているからです。神はこのような事を行なう者を正しくお裁きになると、私達は知っています。」

 

罪を犯さないで、まっすぐに主の道を歩むように、神の助けを常に求めるべきです。また、その事をしないように、自分自身を吟味しなければなりません。私達は難しい時こそ、礼拝を通して神に出会い、支えて下さる御自分の力と慰めを祈り、又、自分自身が相手と同じ罪を犯さないで、まっすぐに主の道を歩めるように神の助けを切に願います。

 

9節の後半から11節まで、ダビデはもう一度自分の敵に目を向けます。「私を陥れようとする者がいます。彼らの口は正しい事を語らず、舌は滑らかで、喉は開いた墓、腹は滅びの淵。神よ、彼らを罪に定め、そのたくらみの故に打ち倒して下さい。彼らは背きに背きを重ねる反逆の者。彼らを追い落として下さい」と記されています。

 

ここでは敵の実情を告げ、正義で定めて下さるように願いましたが、ダビデは第二の詩句と同様に、また自分の敵の裁きを神に任せました。彼は、「どうか敵を罰する事が出来るように、私に力を与えて下さい」と祈らなかったのです。逆に、相手の扱いを神の御手に委ねました。彼は神の正義を徹底的に信じ、「あなたが彼らを裁いて下さい」と何回も願ったのです。私達もその同じ態度を心から現さなければなりません。

 

【主を避けどころとする者】

最後に、ダビデは正しい者の状態と幸いな運命を語りました。12節と13節を見て下さい。「あなたを避けどころとする者は皆、喜び祝い、永久に喜び歌います。御名を愛する者はあなたに守られ、あなたによって喜び誇ります。主よ、あなたは従う人を祝福し、御旨のままに、盾となってお守り下さいます。」

 

【主はわれらの盾】

イエス・キリストの贖いのお陰で、私達は清められ、罪の為の罰を受けるのではなく、逆に、神に避けどころが与えられています。ですから、私達から喜びが自然に出て来ます。神は私達を豊かに祝福して、守って下さいますから、喜びます。主御自身に従う人を祝福し、御旨のままに、盾となって、守ってくださいます。どうか、私達一人一人も盾なる主の守りを信じ、その守りに平安と喜びを豊かに経験出来るように、祈っております。

 

宗教改革者であるマーテイン•ルーテルは自分の信仰を弁護する為、ローマカトリック教会の偉い当局の前に連れられました。その尋問の前に当局の僕がルーテルをあざける為に、このように聞きました。「もしあなたの味方、ドイツの王子があなたを見捨てるならば、守りは何所で見付けられますか。」ルーテルは直ぐに答えました。「私は神によって守られています。主の御許に避けどころがあります。」

 

    

    

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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