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日本キリスト改革派伊丹教会伝道所

主イエス・キリストのみ

ウイリアム・モーア

2008.3.9

 

マタイによる福音書17章1−8

◆イエスの姿が変わる

  1:六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2:イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。3:見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。4:ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

  5:ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。

  6:弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。7:イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」8:彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかにはだれもいなかった。

 

 

 

【六甲山の魅力】

家の北側の窓から六甲山がよく見えます。そして、小さい時から山が好きだった私は毎朝起きると、窓のカーテンを開けて、その日の六甲山の様子を眺めます。ある朝は、六甲山は雲と霧に包まれて、完全に見えなくなります。又ある冬の日は雪で美しく輝いていました。春になって暖かくなると、六甲山は段々緑に覆われて、見るだけで気分が爽やかになります。そして、秋の六甲山は燃えるかのような紅葉になり、とても奇麗です。山は平地より、季節の変化が目立ちますので、とても面白くて魅力があります。

 

【高所から】

しかし、季節の変化以上に、やはり山の高度は山の魅せられるところではないかと思います。高い山に登ると別の世界に入るような気がします。空気が美味し、人里離れますので自然の音しか聞こえないし、すずしいです。そして、山から平地を見下ろすと山の魅力が特に感じられます。つまり、自分が全ての上にいるから、遠くまで見えるし、下にある普通の世界は小さくなります。ある面では、高い山から世界を見下ろすと、私達人間は神の目から見られているような感じかもしれません。         

 

【聖書と山】

聖書には山の存在が大きいです。ノアの洪水の水が減った時、箱船はアララト山の上に止まりました。モーセはシナイ山で神から律法を授かりました。また彼はピスガ山の頂きから約束の地カナンを初めて望みました。ソロモン王はエルサレムにあるシオンの山の上に神殿を建てました。イスラエルの預言者エリヤがカルメル山で生け贄を献げてバアルの祭司に勝ちました。このように、山は聖なる所と思われて特別な存在でありました。

 

この世で、天国と最も近い所ですから、聖書に山は地と天、また物質と霊的の境を表します。ですから、聖書に於ける神との出会いは多くは山の上で行われました。

 

主イエスも祈る為に、神と共に交わりを持つ為に山へよく登りました。また、弟子達に大事な教えを伝えたかった時、彼等と共に山へ行きました。群衆から離れ、その静かな所で神の声に聞き、気を散らす事がなかったので、弟子達と共に大事な事に注意を集中する事が出来ました。

 

【光のように白く】

今日の御言葉の出来事はそんな時の一つでした。主イエスは三人の弟子、ペトロとヤコブとヨハネを連れて高い山に登りました。聖書に記されていませんが教会の古い伝統によりますと、それはガリラヤ湖の北側にあるヘルモン山でした。その四人が山の頂上に着くと非常に驚くべき事が起こりました。今日の御言葉の2節を見ますとこのように記されています。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」

 

つまり、主イエスの様子が突然奇跡的に変形した訳です。実は、その前、イエスは御自分の毒麦の譬え話を弟子達に説明した時、こうおっしゃいました。「そのとき、(つまり終末のとき)正しい人々はその父の国で太陽のように輝く。」(マタイ13:43

 

ですから、イエスは御自分の変わった姿を通して信者の天国での様子を弟子達に見せて下さいました。イエス・キリストは神の御子としてその栄光をもう既に輝かせましたが、将来、神によって完全にさせられ、主の御前に出る時、私達もそのように神の栄光を反映します。三人の弟子達は主イエスの眩しい程の姿を目撃しました。

 

【モーゼとエリヤ】

しかし、その上に彼等はまた驚きました。3節のところにこう書いてあります。「見ると、モーゼとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた」と記されています。その二人の人物はイスラエルの歴史の中で大変重要な役割がありました。モーセはイスラエルをエジプトの奴隷の家から導き出しました。40年の間モーセは神の民を荒れ野で指導して、約束された地の玄関まで案内しました。更に彼は神から律法を受けて、民に差し出しました。

 

 

 

そして、エリヤはイスラエルの預言者として神の真の宗教を守り、大胆にイスラエルの王に主の裁きを宣言しました。またエリヤは周りの国の偶像礼拝の悪影響と戦って立派な証を立てました。

 

モーセとエリヤ、その二人のイスラエルの英雄はずっと前に天に召されましたが、彼らは山の頂きで現れ、主イエスと共に話し合いました。

 

その劇的出来事を通して父なる神は弟子達にイエスの役割について重要な事を教えられました。それは御自身モーセとエリヤと他の旧約聖書の人物を用いて、人間の救いの御業を始めました。イエスはその同じ救いの歴史の進行に携わっているけれども、唯一の救い主、主イエスによってこそ、御自身がその救いを成就するつもりだと言う事を弟子達に伝えたかったのです。

 

しかし、弟子のペトロはその奇跡的体験によって我を忘れてこのように言い出しました。「主よ、私達がここにいるのは、素晴らしい事です。お望みでしたら、私がここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」

 

ペテロの計画の目的はちょっと分かり難いですが、恐らく彼は三つの小屋を建てて、イエスとモーセとエリヤをそれぞれの小屋にずっと留まらせるつもりでした。そうすると多くの人々は山を登り、自分の目でその人物を見る事が出来ました。特に主イエスはその三人の中の一人である事はペテロにとってとても嬉しい事でした。自分の先生はモーセとエリヤのレベル程の人物だと皆に見せたかったでしょう。

 

【イエスこそは】

しかし、その瞬間、父なる神こそがベトロの愚かな話を遮って、光り輝く雲からこう言われました。「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」と言われました。その神の声が聞こえると弟子達はひれ伏し、非常に恐れたと記されています。しかし「イエスは近づき、彼らに手を触れてこう言われました。『起きなさい。恐れることはない。』そして、彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかには誰もいなかった」と書いてあります。

 

【モーセとエリヤ以上のお方】

ペトロは間違えて主イエスはモーセとエリヤと同じレベルのお方だと思い、その三人の為に三つの小屋を建てると言いました。その故に父なる神御自身が声を出してはっきりと主イエスのご身分を宣言されました。主イエスの洗礼の際、同じような宣言をしました。「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言われました。つまり、主イエスの身分と役割はモーセとエリヤより遥かに重要でありました。モーセとエリヤは大いに神に用いられましたが、ただ人間でした。しかしイエス・キリストは神の愛する子として、同時に人間と神であり、救いの歴史に最も重要な、かけがえのない役割を果たすお方でした。

 

「これに聞け」、つまり、「私の愛する子の声に聞け」と父なる神が言われました。実はそれは私達人間に父なる神の最終の言葉です。それ以来、天のお父様は私達に直接に何も語りませんでした。何故なら、その御言葉は私達の使命を完全にまとめて下さいます。その使命は何よりも主イエスを神の子として信じ、その教えに聞き、従うのです。「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け。」との神の声を聞いて従うべきです。

 

モーセとエリヤのような人物は大事な役割がありました。それはイエス・キリストの前に来て、主の道を整える為です。しかし、唯一の救い主、子なる神、主イエスの役割と身分は遥かに超えて、遥かに大事であります。その真理を示す為に弟子達が神の声を聞いてから顔を上げて見ると、モーセとエリヤが見えなくなり、イエスのほかには誰もいませんでした。

 

ペテロは、「私達がここにいるのは、素晴らしい事です」と言って、山の頂きで小屋を建て、主イエスとモーセとエリヤと共に宿りたかったのです。普通の生活から離れ、頂上でその三人の栄光をいつまでも経験したかったと思います。しかし、主イエスは他の使命があったので直ぐに弟子達と共に山を下りました。

 

主は罪人に仕える為に、救う為にこの世に遣わされたのです。イエスは御自分の使命についてこのように語りました。「主の霊が私の上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせる為に、主が私に油を注がれたからである。主が私を遣わされたのは、捕われている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げる為である。」(ルカによる福音書4:1819

 

全人類に救いの唯一の道を提供する為に、主はカルヴァリとその十字架の贖い死に向けて最後まで御自分の使命に忠実でありました。

【受難週にむけて】

私達は今受難節に入っています。そして、来週はいよいよ受難週を向かえます。皆さんは準備が出来ていますか。毎年この時期、キリスト者は特に私達の救いの為の主イエスの大きな犠牲を覚え感謝します。しかし同時に神から与えられた私達の使命も新たに覚え従うべきです。それは今日の御言葉にあります。「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け。」

 

どうか私達皆が毎日毎日、時が良くても悪くても、何よりも神の御心に適う者主イエス・キリストの声に聞き従うようにお祈りします。

 

 

 

 

 


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