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人間は何ものなのでしょう

ウイリアム・モーア

2008.5.1.

 

詩編8編1:【指揮者によって。ギティトに/合わせて。賛歌。ダビデの詩。】

  2:主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。天に輝くあなたの威光をたたえます3:幼子、乳飲み子の口によって。あなたは刃向かう者に向かって砦を    築き/報復する敵を絶ち滅ぼされます。4:あなたの天を、あなたの指の業を/わたしは仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさったもの。5:そのあなたが御心に留めてくださるとは/人間は何ものなのでしょう。人の子は何ものなのでしょう/あなたが顧みてくださるとは。6:神に僅かに劣るものとして人を造り/なお、栄光と威光を冠としていただかせ7:御手によって造られたものをすべて治めるように/その足もとに置かれました。8:羊も牛も、野の獣も9:空の鳥、海の魚、海路を渡るものも。10:主よ、わたしたちの主よ/あなたの御名は、いかに力強く/全地に満ちていることでしょう。

                  

 

【夜空に想う】

晴れた夜に大空を見上げた事がありますか。数え切れない星の中、北斗七星ややカシオぺア座や北極星などを探した事がありますか。又、空を昇る輝く満月の姿を見て、感動した事がありますか。誰でも無限の大空をゆっくり眺め、その雄大さに打たれた事があるでしょう。天文学に興味を特に持つ者ではありませんが、ある美しい夏の夜、私は天を見上げて、自分の存在の意味を新たに思案しました。

 

【雨が晴れた夜】

その時は高校三年生の頃でした。いつものように家族と共に山小屋へ行って、夏休みを過ごしました。その日、朝からずっと雨が降りましたが、日没後、小屋のトタン屋根に雨の音が急に聞こえなくなりました。その日、雨の故、朝から小屋にこもったので、足を伸ばす為、散歩しようとしました。そして、懐中電灯を持って、小屋の裏にある丘を上りました。丘を上って、風景を見ると驚きました。雲が消えてしまって、完全に晴れて来ました。そして、大空を仰ぐと、数え切れない、ピカピカした星が眩しく光りました。始めてそんなに美しい空を見た私はうっとりしました。神が創造された雄大な宇宙を眺めると大変感動しました。

 

【わたしの存在とは】

しかし、すぐに他の事が心に浮かびました。その無限の宇宙と比べると、私は何ものなのでしょうか。ちっぽけな私は小さい惑星に住み、更に、地球が回っている太陽さえも比較的小さい星です。無限の宇宙の中の無数の星と惑星と比べると、この世に生まれ、あっと言う間に死ぬ人間は本当に取るに足らないものだなと思いました。また、もし自分がこの世に生まれなかったら、何も変わらないではないかと思ったのです。

 

【天地万物の創造主のまえに】

更に、もし私は宇宙と比べたら、ほんのちっぽけなものならば、なおさら、私は天地万物の創造主と比較する事がまったく出来ないと思いました。私は無から宇宙を造ったお方にとって何ものなのでしょうか。そのお方は地球だけでなく、全ての天体とその生き物を治め、支えて下さいます。また、御自分の宇宙の中に人間より遥かに優れた被造物があるかも知れません。ですから、その神は小さい私と何の関わりがあるのでしょうか。本当に神は私の存在と価値を認めていますか。私を知り、私の声を聞き、私との交わりを望んでいらっしゃるのでしょうか。

 

【万物の創造主は私を御心に留められているか?】

先にに私を喜ばせた美しい夜の大空はそのように悩みの種になりました。無限の天地万物とその造り主に対して私は何ものなのでしょうかと思い煩いました。つまり、私の価値と存在を疑い始めました。そして、その不安な気持ちで丘を下って、小屋に帰りました。

 

【ダビデの詩】

説教の準備の為に、私は今日与えられた御言葉、詩編第8編を読むと驚きました。数千年前に、この詩を書いたダビデ王は、大空を見上げた時、私と全く同じ気持ちでした。特に4節から読むとびっくりしました。「あなたの天を、あなたの指の業を私は仰ぎます。月も、星も、あなたが配置なさった物。そのあなたが御心に留めて下さるとは、人間は何ものなのでしょう、あなたが顧(かえり)みて下さるとは。」(詩編第8編4−5)

 

ダビデ王はこの美しい詩句で私の気持ちをよく表現しました。雄大な宇宙とその完璧な造り主に対して人間の小さい存在と恐れを雄弁に伝えました。ダビデ王は気のあった人だなと思いました。彼も自分の弱さと取るに足らない存在に直面すると、悩みました。

 

しかし、ダベデ王は長く悩みませんでした。何故なら、彼は聖書、すなわち天地万物の造り主、唯一の全能の神が啓示された御言葉を参考にして、人類についてこの知恵を頂きました。6節を見て下さい。「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠として頂かせ、御手によって造られたものを全て治めるように、その足もとに置かれました。羊も牛も、野の獣も、空の鳥、海の魚、海路を渡るものも」と記されています。

 

【創造の御業】

ダビデは聖書の創世記のお話を思い出して、御言葉から神が授けられた人間の高い価値と重要な使命を新たに悟りました。恐らくダビデは創世記1章にあるこの御言葉を思い起こしました。創世記1章2729「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。神は彼等を祝福して言われた。『生めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地の上を這(は)う生き物を全て支配せよ。』」

 

【人を天地万物の管理者として】

結局、神御自身が人間を特別に愛し、特別にお造りになりました。神こそが私達に生きる為の目的と威厳を授けて下さいます。神の目には私達の存在は決してちっぽけなものではありません。主は私達を顧みて、大事にして下さいます。実は、「神に僅かに劣るものとして人を造り、なお、栄光と威光を冠としていだだかせ」ました。更に、「御手によって造られた物を全て治めるように」私達に託せられました。

 

つまり、私達人間は神によって天地万物の管理者として任命されたのです。小さく、無意味な存在の代わりに、神は御自分にかたどって私と全ての人類をお造りになり、また、素晴らしい使命も与えて下さいました。人間は広大な宇宙と比べると、小さいものかも知れませんが、役割がとても大事だから、我々皆は大物だなと私は思いました。

 

 

 

しかし、高慢にならないように、更に大事な事を悟りました。人間の威厳と地位は始めから終わりまで神のお陰です。私達は主の被造物です。つまり、我々人類は自分を造った訳ではありません。神御自身が私達を御自分に僅かに劣るものとしてお造りになりました。

 

更に、神は私達を宇宙の管理者として任命しました。その高い地位は人間が勝ちえたものではないが、完全に神の賜物です。主は無から人間を造り、この世に入れ、そして、御自分が創造された万物の管理人として大事な仕事をさせて下さいました。

 

ですから、神を除けば、人は実際に何もならないし、その存在は全く無意味になってしまいます。しかし、憐れみ深い神は人類を無から素晴らしく造って、私達との交わりを楽しむ為に御自分を啓示して下さいました。その上に、御子イエス・キリストを通して御自分の愛を私達に現す為、主は人間になり、この世に降りました。私達と共に歩み、神の憐れみと愛を教え、そして、永遠の救いを齎す為に十字架で私達の罪を贖って下さいました。

 

【環境破壊】

ところで、罪と言えば、私達人間はこの世の管理者としての責任を十分に果たしていません。私達の故に地球の温暖化が進んで来て、環境に色んな害を起こしています。人間の行動の為、絶滅した動物と植物がだんだん増えて来て、神が造った多くの被造物の存在は完全に消えてしまいました。大気汚染は酷くなり全ての生き物の健康に障ります。自然資源をどんどん使い過ぎ、ある大事な物が乏しくなる恐れがあります。何所を見ても環境崩壊の現れを見る事が出来ます。

 

【治めるとは】

今日の御言葉の7節を見ますとこのように記されています。「御手によって造られたものを全て治めるように、その足もとに置かれました。」ここで「治める」と言う事は決して害を与える、あるいは、破壊する訳ではありません。私達は神によって大自然の上に立てられましたが、その地位はおもに大自然を管理する為、守る為です。

 

大自然を賢く奇麗に用いながら、主の代理として地球を大事にし、全ての生き物の為に保存する使命が与えられました。神はそのお仕事を私達一人一人に授けて下さったのです。その故に主はあなたと私を造り、この世に入れました。どうか私達は小さい事を通してもその使命と責任を果たす事が出来ますように。

 

神の一方的愛によって私達を素晴らしく造り、創造された物の管理人として任命し、そして、イエス・キリストを通して救って下さいました。その大きな祝福と恵みに対し私達は賛美と感謝を現す以外はありません。

 

【御名に栄光と讃美を】

ダビデ王はこの詩編第8編を書いた時、前と後ろにこの言葉を書き記しました。「主よ、私達の主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちている事でしょう。」

ダビデは自分の命とその命の意味と目的の源がよく分かりました。その神の一方的恵みを経験すると、喜びと感謝が自然に彼から湧き出て来て、「主よ、私達の主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちている事でしょう」と神に歌いました。

 

私達、神の民として同じ賛美をするべきです。主は命の賜物を与え、愛と目的と威光を豊かに授けて下さいましたからです。「主よ、私達の主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちている事でしょう。」(おわり)

 

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