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なくてはならぬもの:愛

ウイリアム・モーア

2008.11.9

 

ヨハネの手紙一4章7−12

 

 

【洞窟を探険した二人】

二人の青年は幼馴染みで、殆ど毎日一緒に遊びました。互いに家へ行き来したり、学校で同じクラブ活動に参加したり、とても仲良しでした。ある日その二人は近い山にある洞窟を探険しようとしました。懐中電灯を持って、洞窟に入り、結構奥深くまで進みました。青年の一人は足下の所に懐中電灯を照らして恐ろしい光景を見ました。それはでっかい熊の足跡でした。そして、突然、洞窟の先からぞっとさせる熊の吠え声が反響しました。更に、段々近くなる熊の走る音も聞こえました。

 

【早く逃げたほうが勝ち】

言うまでもなく、二人は死ぬ程怖くなり、必死に洞窟の出口の方へ走りました。しかし、まだ出口に着いてないのに友人の一人は止まって、ブーツを脱ぎ、リュックサックからランニングシューズを出し、それを履こうとしました。相手は彼に怒鳴りました。「お前、何をやってる。速く逃げよう。熊はすぐ後ろに来てるぞ。」

 

 

そうすると、彼の相手が立ち上がって、一生懸命に洞窟口へ走り出しました。そして、走りながら後ろにいる友人に叫びました。「俺は熊から逃げなくても良い。ただお前より速く走ったら俺は安心だ。熊はお前に先に襲いかかるから。」

 

【自己中心の社会】

このストーリを聞くとちょっと笑いますが、その笑いは苦痛を伴っていると思います。と言うのは、多くの場合、社会全体に、また個人的関係にもそのようなものが見られます。自分を守る為、自分を一番にする為、人を利用し、人を犠牲にしてしまうことはよくあることです。つまり、自己中心が多く、人に対する愛が足りないのです。

 

【なくてはならぬもの:その3、愛】

今朝、「なくてはならぬもの」と言う説教のシリーズを続けたいです。人間誰でも霊的に豊かに生きるならば、その三つの賜物は絶対に必要であります。つまり、私達はそのものによって生かされ、精神的、また霊的に豊かになります。何故なら、天地万物の造り主である唯一の神が人間を創造した時、私達はただ物質的な物を求めるのではなく、霊的なニーズも求めるようにお造りになりました。実は、そのものがなければ、私達人間は空しくなり、魂は衰えてしまいます。

 

【いつまでも残る霊的賜物:信仰、希望、愛】

皆さんは覚えていらっしゃると思いますが、そのなくてはならぬ霊的なものは三つ程あります。その三つは信仰と希望と愛です。使徒パウロは神の霊に導かれ、コリントの信徒への第一の手紙13:13にこのように書きました。「信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは愛である。」信仰と希望と愛、このいつまでも残るものは私達人間の魂にとって、なくてはならぬものです。その三つがあれば、霊的に豊かに生きられます。

 

【信仰】

信仰は結局神を信じる事です。しかし、信仰はただ神の存在を信じる、あるいは認める訳ではありません。もちろん信仰の第一歩として神の存在を認める必要がありますが、その上に信仰は毎日の生活全ての事を神に委ねて信頼する事から始まります。神の素晴らしい約束を信じ、主に頼ります。信仰は特に主イエス・キリストの救いの力を信じる事です。主は御自分の贖い死を通して私達を罪から救って、永遠の命の道を開いて下さいました。神の敵であった私達は御神の家族に入れられ、永遠の滅びから救われました。その神の力と約束を信じることは信仰です。それがあれば霊的に豊かな生活がおくれます。

 

【希望】

先週学んだ希望と言う、なくてはならぬ賜物は、将来にも神から良いことを期待する確信です。その希望があれば、この世で何でも耐えられ、勝利を得るまで忠実に主に従う事が出来ます。言うまでもなく、真の希望はこの世の物、あるいは人の力や恩恵などに基づいていません。本当の希望は神の変わらぬ愛と力と真実と約束に基づいている訳です。ですからその希望は幻想ではなく、確かなものです。試練があっても、神から授けられた希望は私達を支え、大きな力になります。

 

【最も大いなるものは愛】

なくてはならぬ、いつまでも残るもの、信仰と希望を学んで来ましたが、今日、最後に「最も大いなるもの愛」を一緒に学びたいと思います。今日の御言葉ヨハネの第一の手紙4章7節から12節までは、なくてはならぬもの、愛の重要性をはっきりと語って下さいます。

 

もう一度今日与えられた個所を聞いて下さい。ヨハネの第一の手紙4章7節から朗読します。「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私達が生きるようになるためです。ここに、神の愛が私達の内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。愛する者たち、神がこのように私達を愛されたのですから、私達も互いに愛し合うべきです。いまだかつて神を見た者はいません。私達が互いに愛し合うならば、神は私達の内で全うされているのです。」

 

【アガペーの愛】

ここでのはどんなものなのでしょうか。実は日本語の単語「愛」は新約聖書の原文の古代ギリシア語には、四つの個別の単語があります。それはフィリアとエロスとストルゲイとアガペーです。フィリアは友人の間の愛です。エロスは夫婦と愛人の中のロマンチックな愛です。ストルゲイは親とその子供の間の愛、そして、アガペーは見返りでない、受けるに値しない、犠牲的愛です。つまり、無条件的愛です。その愛は相手の福祉と幸福を考え、積極的に相手の為に善い行動を実行します。多くの場合、その愛は一方的愛になります。今日の個所には「愛」と訳された全ての単語はこのアガペーです。神はそのアガペーの愛の源で、神はアガペーを持って御自身の傑作私達人間一人一人を愛して下さいます。

 

【御子を遣わして下さった】

私達に対する神の愛の最も素晴らしい表現は9節と10節に記されています。「 神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、私達が生きるようになるためです。ここに、神の愛が私達の内に示されました。私達が神を愛したのではなく、神が私達を愛して、私達の罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」

 

【ここに愛があります】

記されたように私達罪人の為に神は御自分にとって一番貴い者、御独り子イエス・キリストをこの世に遣わしました。更に、私達に代わって罪の為、支払うべき罰を十字架で負って下さいました。人類は神を無視したのに、神の敵になったのに、主は一方的に御手を伸ばし、犠牲的に私達を愛して下さいました。「ここに愛があります。」

 

【愛なくば、すべては無益】

この神の愛は、私達一人一人にも、なくてはならぬものです。その愛がなければ、信仰は無益で、救いに至りません。更に愛がなければ希望は無意味になります。8節の後半にこう書いてあります。「神は愛だからです。」神は愛です。

 

【最も大いなるもの、愛】

神は信仰ではありません。神は希望でもありませんが、記されたように、神は愛です。恐らくその故に、なくてはならぬもの、信仰と希望と愛の中、最も大いなるものは愛になります。つまり、愛は何よりも神の性格を定義します。イエス・キリストの贖い死を通して神は一方的に御自分の無条件的愛を全人類に提供して下さいます。神は御自分の子供として私達を受け入れ、救ってくださいます。豊かに生きる為、その救いに至る愛は何よりも必要であります。

 

【互いに愛し合うべきです】

そして、その神の愛を受ける事だけではなく、廻りの者にその同じような愛を実行する必要性もあります。「愛する者たち、神がこのように私達を愛されたのですから、私達も互いに愛し合うべきです」と11節に書いてあります。神は先ず私達を愛して下さいましたので、私達は廻りの者を愛するようにと教えられています。大きな愛を受けたのですから、神に似ていく私達は自然に主のアガペーの愛を反映し、その愛を分ちたいのです。

 

そして、不思議に神のアガペーを実行すると、私達は満たされ、生かされています。何故なら、その愛を現すと、「神は私達の内にとどまって下さり、神の愛が私達の内に全うされている」からです。

 

【コリントの信者に】

使徒パウロはコリントと言う町に住んだ信者に愛についてこのように書きました。「そこで、私はあなたがたに最高の道を教えます。たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒(さわ)がしいどら、やかましシンバル。たとえ預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かす程の完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない。

 

愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼をしっせず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、全てを望み。全てに耐える。...信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」(コリントの信徒への手紙一1231b−13713

 

どうか、私達一人一人も、なくてはならぬ霊的賜物、信仰と希望と愛によって満たされますように祈っております。(おわり)

 

 

 

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